嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

お坊さんは修業のために、あっちこっち回いよんさった。巡礼のごと回いよんさったて。あったいどん、このお坊さんのねぇ、あの、トマトとかね、必ず絵ば描(き)ゃあてばい、お礼に、あの、置(え)ぇて来よんさったちゅうもんねぇ。

ある所、ズーッと行きおんさいたぎねぇ、坂の下に茶店のあったて。そいぎそこで昼飯ば食べんさったぎねぇ、昼飯ご馳走じゃったけん、「とまれぇ」て言うて。そうして、その襖に墨でね、烏ば一羽描ゃあて、お礼にやって行きんさったて。そしてまた、そのお坊さんのね、スタコラスタコラ、ズーッと、あの、お巡いばして回んさいた。そしてねぇ、三日目の夕方はねぇ、今度あ、坂の上の茶店にで夕飯ばご馳走になんさった。

「夕飯の美味(おい)しかったあ」ち言(ゅ)うて、そのお礼にねぇ、そこの蝦(えび)を今度一匹描ゃあてね、そこさい行って言わじぃ、そのお坊さんな、何処にでん行(ぎょう)して回っ。そうして一年ばっかい経ってからねぇ、また同(おな)し所に来んしゃって、坂下の店に寄んしゃったてぇ。

あったぎねぇ、そこの店の主人がさ、プリプリしとってじゃんもん。

「一年ばかい前に来んしゃったお坊さんやろう」て言うてもう、そうして、「あんさんの、この襖に烏ば描(き)ゃあたけんが、うちの店はいっちょん繁盛せん。誰(だーい)も店さい寄いつかん。烏のカアーカアーて鳴ゃあて、ほんに縁起の悪か」て。

「ああ、そうでしたか。そや、どうも失礼しました。本当にすいませんでしたねぇ」て言うて、その店では何(なーん)も、あの、後(あと)は長居もせんで、ホロボロに怒らるっばっかいじゃ、その出て行かれて、(いんにゃあ、出て行く前にね、)

「ああ、そうでしたか」て言うてね、懐から扇子ば出してね、襖の絵をしきりに扇ぎんさった。そしたらね、襖に描かれた烏が「アホウー、アホウー、アホウー、アホウー」と鳴いて、そして近くの高い木の枝に止まった。そいで、散々怒られた時ゃ、ギャて言うて、また何処ともなく、お坊さんは立ち行かれた。

そうしてばい、今(こん)度(だ)あ坂の上の茶店に来んしゃったてぇ。あーったぎぃ、ここではニコニコ顔してね、

「ああ、一年前来んさったお坊さんでしょう。家(うち)で蝦の絵を描ゃあてくんさったなたあ。お陰で店は大繁盛」て。「もう店には、どぎゃんこってん、『蝦ば見せてくいろ』ち言(ゅ)うて、来(く)ん者(もん)ばっかい、わんさと来てくさんたあ、私(あたし)の家(うち)、お陰で金儲けさしいかれました。さあ、どうぞ。暑かったでしょう。さあ、草臥れんさったでしょう」もう下に儲けんごと。そうして「今夜も、どうぞ、お泊りください。家で夕飯を召し上がってください」て、恐ーろしか。そして、詳しゅう話すことには、

「そのねぇ、蝦のピンピンてすっとに、髭も動かす」て。そいでねぇ、『ほんに動くとに珍しか』て言(ゅ)うて、お客さんの多か」て。「お客さんの中にはくさんたあ、『この蝦赤かぎなあ、まっと良かとこれぇ』て、こぎゃん言う者ばかい」て。「そいぎ明日、帰る前にこの蝦の赤くいっちょしてくれんですか」て、その店の主人が言うた。

「赤にですかあ」て。

「はい。是非、赤にしていただきとうございます」

勝手の頼みだもんだから、朝、出かける前に、

「では」ち言(ゅ)うて、筆をとってその蝦をねぇ、赤く塗んさったてぇ。そしたぎねぇ、蝦の動かんとじゃんもん。そいぎぃ、

「ありゃあ。この蝦はもう、茹でられて死んだとうー」て言うて。

そいから先ゃ、余(あんま)いお客さんのなかった。

チャンチャン。

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P621)

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