嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)
むかーし。
村にさ、もうその聟さんに似合わんごときれいか嫁さんを持った男のおったてぇ。ほんにきれいか嫁さんじゃんもん。そいぎお寺の和尚さんも、この嫁さんをほんに好きになんさったちゅう。
「何(なん)じゃい、浪花節聞きぎゃ行こうかあ」て、嫁さんを誘うたい、傘どんうっ(接頭語的な用法)忘れじよかとば、うっ忘れてみたり、
「あんたん方(がち)ゃあ、傘ばうつ忘れたけん、家(うち)持って来てくんさい」ち、小僧さんば使いにやって、嫁さんば呼うだいしおんしゃったて。
そのうち、その聟さんなそいば気になって、ハラハラして、仕事すっ気にもならんちゅうもんねぇ。何時(いつ)ーでん、何時(いつ)あの和尚が家(うち)来て、離れえじぃ、家(うち)、俺(おい)が嫁御とおろうかにゃあと。もう気になって仕方(しょ)っなかったあて。良か知恵がなかろうかにゃあ。あの和尚ば追っ払う知恵はあんみゃあかにゃあ。何時ーでん、そいばっかい考えおんしゃったて。そうしたあげく、よし、いっちょうものは試しやろう、と思うて、お店から紙ば買(こ)うて来て、床の掛け軸ば作んさいたちゅう。それに墨黒々と一、二、三、四、五、六、七、八、九、十て、書きんしゃったて。そうして、和尚さんの留守にさい、お寺の仏さんの真上に、そん掛け軸ば掛けとんしゃいたちゅうもんねぇ。
そいぎぃ、和尚さんな隣(とない)村から帰って来て、その本堂ば見たぎぃ、掛かっとるその掛け軸ば見て腹かきんさったちゅう。
「ぎゃんことばして罰が当たっぞう」と言うて、「誰(だーい)でん檀家の者(もん)は来い」て、お寺さい呼うで、
「俺が留守に仏さんの上に、『一、二、三、四、五、六、七、八、九、十』て、書(き)ゃあてあっ。上手でもなか字は書ゃあてあっ。うん、罰(ばち)が当たっに違いなか。怖(えす)かぞ」て言うて、
「お前(まい)さんがしたっじゃろう」て、言うぎぃ、
「いんにゃ、俺(おり)ゃあせん。あんたじゃろう」
「いんにゃ、俺(おり)ゃ知いでんせん」
そいぎぃ、ズーッと誰(だれ)ーでん当たってみたぎぃ、モゾモジ男がしおったちゅうもんねぇ。きれーいか嫁さんば持った男じゃったもんじゃい、
「わが、書いたとばいねぇ」て、言うたら、
「そうさあ」て、男が平気で言うたて。そうして和尚さんにもう、腹きゃあた心で、
「その字ば読んでんさい」て、その男が言うもん。
「気色に俺(おい)ば馬鹿にしたごと言いおんにゃ」て、和尚さんが言うて、
「そりゃあ、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十じゃろうがあ」て、和尚さんの言
んしゃったぎぃ、そうした上、「なーんか上手でもなか、蚯蚓(みみず)の這(ひ)ゃあたごたっ字ば書(き)ゃあてぇ」て、言うてこき下ろしんさったぎぃ、
「男は、そぎゃん読むとじゃなかとう」て。「俺(おい)が読むとば耳ば良(ゆ)うほぎゃあて(開ケテ)、聞きおんさい」て、言うたて。そうして、声ば張り上げてさ、
「一度ならず、二度ならず、三千世界に四条五条の袈裟までかけて、得度した者が恋に迷
うて、何(なん)としたことか」て。「八大地獄にも落ちるぞ。求道出家のあんたは身であろうが。早(はよ)うから実行せよ。これは仏さんの言葉ばい」て、言うたて。
そいぎぃ、和尚さんな顔ば赤(あこ)うなんしゃったて。やっぱい、この男の嫁さんに惚れとんしゃったもんじゃいねぇ、
「ハア、ハア」ち言(ゅ)うて、唸(うな)っごと和尚さんの言うて、聞きおんしゃったて。そして、
「私ゃ仏に仕える身じゃったとこれぇ、ほんに女(おなご)に恋したいないたい良(ゆ)うなかったにゃあ」て、我が心の迷いから覚めんしゃったて。
そいから先ゃ、一生懸命修業して立派な和尚さんになんしゃったてよ。
そいばあっきゃ。
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P613)