嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかし。

ある村に樵(きこい)さんがおらしたて。

一(ひと)人(い)息子、持っとらしたて。

そうして、山に木倒しばっかい切おらしたけど。

その日は守りする者(もん)がおらんだったもんだから、

その子ば連れて木ば切り倒しや行きんしゃったて。

あったぎぃ、どうしたはずみにかその息子が、

チョロチョロしよった木の下敷きになって、

ちぃ(接頭語的な用法)死んだて。そいぎ樵はその晩に、

「たった一(ひと)人(い)息子じゃたけん、

ちぃ死んだ。ああー、ちぃ死んだ」ち言(ゅ)うて、泣きおったちゅう。

あったぎぃ、そけねぇ、山ん中(なき)ゃあ、

坊さんの通りかかんしゃったてばい。そいぎ樵が、

「良か塩梅(んびゃあ)でしたあ。

お坊さん、こけぇ来てくんさって良か塩梅でしたあ」て。

「家(うち)の子が今ちぃ死んだけん、極楽さん間違いなしぃ、

ユックリユックリと、いっちょお経ば上げてくんさい、

唱えてくんさい」て、頼んだて。そいぎぃ、

「よしよし」ち言(ゅ)うて、坊さんの

「ムニャムニャムニャ、ムニャムニャ」て、

お経さんば唱えよんさったぎぃ、あったぎねぇ、

一時(いっとき)したぎぃ、死んだて思(おめ)ぇ込(こ)ーんどったその子の、

パチーッて目ば開けたて。そいぎぃ、樵は、

「ああー、良かったあ。死んどらんじゃった、生きとったあ」

ち言(ゆ)うて、喜んだて。そいば坊さんな見て、

「子の年ゃ幾らかあ」て、聞きんしゃもんじゃけん、

「ないー。子の年は五つになったばっかいでごんす」て、こがん言うたら、

「ほんならねぇ、また、今年中に死ぬ」て、言いんさったぎぃ、

「ようやく生きどまった、と思って、喜びよったぎ死んぎたまらん、

死んぎたまらん。どぎゃんすっぎ良かやろか」て、聞いたぎぃ、

「そうなあ。そぎゃんこの子ばまいっとき(モウ少シ)生かしときたかったい、

この山の尾っぽの岩穴にゴボウちゅう爺さんのおらす。

その人が命ば決めらすとじゃっけん、酒どん買(こ)うて行って、

『命ば増やしてくださーい』ち言(ゅ)うて、頼むぎ良かあ」て、

坊さんの言んしゃったて、思うたぎねぇ、消えるごと無(の)うなんしゃったて。

もう後はおんしゃらんじゃったて。

そいぎぃ、男はじきー子供ば連れて家(うち)さん帰って、

その足で酒どん買(こ)うて行たて、また

奥山さんセッセセッセと、歩いて行ったて。あったぎぃ、

奥山ん岩穴にバチバチって、音のしおった。

ああ、そこばいにゃー、と思って、音のすっとば頼りに樵さんは行たてみたぎぃ、

ほんなごてぇ岩穴に、真っ白か鬚(ひげ)のお爺さんの一人(ひとい)で碁ば打ちよっ。

そして男の来たばいにゃあーて、気のすっけん、

「お前(まい)、何(なん)しに来たあ」て、大きなビックイすっごたっ声で、言んさったて。

そいぎぃ、酒徳利(とっくい)ばまず差し出(じ)ゃたぎぃ、もう、

「うん」て言うて、じき徳利ながらゴクンゴクンゴクンて、ひん飲んでしみゃあんさった。

そうして、一時(いっとき)したぎぃ、

「用事は何(なん)かあ」て、言んしゃった。

そいぎぃ、モジモジしおったいどん、

「実は、わが子の今日死んだいどん、もう少し命ば増やして欲しいです」て、言うた。

あったぎぃ、爺さんのねぇ、

「そうかあ」て言うて、「一時(いっとき)そっちで待っとれぇ」て、言うことやった。

そいでねぇ、一時、外に待っとったぎぃ、まだバチィバチィバチィて、碁ば打ちおんさいた。

なかーなか一時ばっかいと言われたとに、ジーッと聞きようぎぃ、

その白か鬚(ひげ)の爺さんな黒か石には、

「北さん、北さん、北さん」言いよんさって。そこから白か石には、

「南さん、南さん、南さん」ち言(ゆ)うて、碁ばパチッて。

あったぎぃ、一時(いっとき)したぎぃ、男に、

「こっち来(こ)ーい」ち言(ゆ)う。

「今日はなあ、白の南さんが勝ったよ。良かったあ」て。そうしてから、

「お前(まえ)んとこの子は、そいぎ五つじゃったなあ」て、言んしゃった。

そうて、懐から紙ば出(じ)ゃあて、五ば書いて、その下(しち)ゃあ丸ばつけ加えて、

「命はこいまでじゃあ」て言(い)うて、見せんさいた。

そいば見てみたぎねぇ、五に丸じゃっけん五十じゃった。

そいぎぃ、

「ああー、有難うございます。五十まで生きっぎ良か。

有難うございます」て言(い)うて、喜んで帰った。

そいぎぃ、実はねぇ、白が生きとっ命で南。そいで黒か碁石が、死

んでしもうて北ち、北枕て。そいで死んでしまうぎ北に行くて、言いよっごたって。

そいばっきゃ。

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P607)

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