嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

むかーしむかし。

山ん村にね、大男がおったてぇ。そいが体も大きかったいどん、心はもう、とても優しゅうして、しかも子供が大変好きじゃったて。そいぎ子供達、

「でっぷうさん、でっぷうさん」て、大きか者(もん)だから、その人に言うて子供達もその人が大好きだったて。そいで年中、子供達がゾロゾロ、ゾロゾロつんのうて歩(さる)きおった。

ところが、ある日にねぇ、代官所からさい、庄屋さんの所(ところ)に、

「大雨で道が壊(こわ)れたから、人夫を五十人出せぇ」て、お触れが出たて。

あったいどん、ちょうどそん時は、大雨の降りようで田植え時で、もう皆が田植えの最中で一(ひと)人(い)も暇のなか。

「困ったねぇ」て、庄屋さんは頭を痛めとったら、でっぷうさんが、

「俺(おい)が五十人分位(ぐり)ゃあ仕事ばすっばい。私(あたい)をやってください」て、言んしゃったて。そいぎぃ、

「あんたが、そぎゃん働いてくるっかーい」ち言(ゅ)うて、庄屋さんは喜んで、このでっぷうさんば代官所にやんしゃった。そいぎねぇ、代官所ではねぇ、

「庄屋に五十人て言うたとは、良(ゆ)う聞かんじゃったろうかあ。たった一人やって」て言うて、言んしゃったぎぃ、でっぷうさんが、

「いいから、いいから、いいから。俺(おい)で立派(じっぱ)に仕事するから、いいたい、引き受けても。庄屋さんから引き受けとったあ」て言う。そいぎ役人が腹かいてね、

「お前(まい)は、本気かあ」て言うた。そいぎでっぷうさん、

「いんにゃあ。本気も本気、どぎゃん仕事とかわからんけど、五十人位(ぐらい)は何時(いつ)でんできるよ。私の仕事を見てから腹かいちってください」て言うて。

そうしてねぇ、見事に仕事をその、やってのけたもんじゃいけん、この村は公役のになったあ。あったぎねぇ、その、ほんなこて一(ひと)人(い)して五十人がとも仕事ば、ちぃしたということで、お役所の役人が、

「がーん男ば放っておくぎぃ、どがんことばさるっかわからん。ありゃあ、早(はよ)うとっつかまえて、そうして、島流しどんせんぎ大事(ううごと)になっかわからん」て言うて、話し合った。

そいぎねぇ、早速、でっぷうさんが代官所さい来たでばい。そいぎもう、大方、こけぇ来たなら島流しよいた殺さるっばーい。一人勝手にでっぷうさんは。

「私(あたし)は一遍弓ばさせてくんさい。死ぬ前に一遍弓を射ってみたかあ」て、ヒョロッと言うたち。そいぎぃ、お役所ん者(もん)が、

「面白かこと言うにゃあ。あいどん死んない、一遍弓ば引たかないば、あいどん遠(とーお)か所(とけ)ぇ、あの、的ばあっけん、こっから五里も先に的ばあっけん、そいば射って抜いてみろう。そいぎ笹ば目印に立てとっ」て言うた。

あったぎでっぷうさんねぇ、ねらいシッカイ定めて、ピーンてしたぎぃ、五里も先の板に射ち抜いたて。そいぎ代官さん達ゃ、ビーックイして、もう、でっぷうさんなねぇ、感心して帰(かや)したて。

そいばっきゃ。

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P607)

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