嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)
むかーしむかし。
村はずれの空き地で子どんがさ、沢山(よんにゅう)ワイワイヤアでそこが遊び場じゃったけん、遊びよったてぇ。あったぎねぇ、立派(じっぱか)帽子ば被った紳士のそこに通いかかってばーい、
「お前達、チョッと聞くいどん、村長さん方のあってやろう。何処(どこ)か教えてくれんかなあ」て、言わしたて。あったぎぃ、二、三人そこん辺(たい)におったとのねぇ、
「教(おそ)ゆっ。教ゆっ」ち言(ゆ)うて、正直っか者(もん)じゃい、峠の上までつんのうで来て、森んごと茂って、白ーか塀(へい)ば巡らした家(うち)を指しゃあてばい、
「あすこうー」て、教えたちゅう。そいぎぃ、そぎゃん教えた子供はねぇ、着(き)物(もん)ば着て何時(いつ)洗(ある)うたいろうわからんごと、おろーいかとば着とったちゅうもん。そうして、涎(よだれ)も小(こま)んかとはたれとっ。鼻たれ小僧(こうずう)もおる。袖口(ぐち)ゃもう、ピカピカすっごと汚(よご)れて汚(きたな)かったて。あったぎぃ、そのおんちゃんな、
「有難(あいがと)ーう」て。「他所(よそ)からこりゃ貰ったとないどん、全部(しっきゃ)あでわけて食べやーい」ち言(ゅ)うて、紙に包うだお菓子ばくいやったちゅう。そうしてねぇ、
「南、東西。東西」ち言(ゅ)うて、向こうさい行きんしゃったてぇ。
子供は嬉しゃそのお菓子ば貰うたもんじゃい、家(うち)さんかけて帰ってねぇ、
「知らんおんちゃんから、村長さん方ば教えたぎぃ、こいば貰うたあ。『なんと幸いや』ち言(ゅ)うて、行かしたばーい」て、小(こま)ーかとの言うたぎぃ、太ーか子の、
「いんにゃあ。『東西、東西』て、言わしたて。何(なん)じゃい今から始むっとじゃろうかあ。『東西、東西南』て、言わした」て、太か子は言うたて。そいぎぃ、全部(しっきゃ)あの者の喜んだて。 そうしてねぇ、誰(だい)でんお菓子ば珍しかとば貰うたもんじゃい、もう皆でワイワイやって嬉しがった。親にわけてもらって喜びよったて。
あったぎねぇ、そけぇ、お父(と)ったんの帰って来てねぇ、
「ぎゃん珍しかお菓子は誰(だい)から貰うたない」
「いんにゃあ、家(うち)の子どんが、あの、村長さん方ば教えたぎぃ、『西西南東』ち言(ゆ)うて、そうして村長さん方さい行きんしゃったあ」て。あったぎぃ、小(こま)かとの、
「いんにゃあ、なんと幸いやったあ。なんと幸いやったあ」て、言んしゃったあて。
「いんにゃあ。『南東西、西』ち言(ゅ)うて、行かしたけん、「何(なん)じゃい始まっ」て、太か者な言う。そいぎぃ、ゆうゆうお父ったんの聞きおんしゃったぎねぇ、
「ありゃあ、こりゃあ、東西南北のうち北のいっちょなかとじゃなかなあ。『北のなかと』ち言(ゆ)うぎぃ、『汚か汚か』て、お前達は言われて、嬉しがん者(もん)のあっこう」て言うて、お父ったんが腹きゃあたあ。あったぎねぇ、
「嬉しがっとっ者達は、『けちだあ。馬鹿野郎』て、言われたてちゃ、『有難うございます』て、言葉のわからじ言うとっと、いっちょん変わらん」て、お父ったんがちぃっと物知っとんしゃったもんじゃい、「外国人の、『けちだ。馬鹿野郎』て、言われても、言葉のわからんもんじゃい、『有難う』て、言うとと同しこと。お前達、ふうけとっ(馬鹿ダ)」ち、お父ったんの腹かきんしゃったあ。
チャンチャン。
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P590)