嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

恐ーろしか旱魃じゃったて。雨のいっちょん降らんて。そうして米でん何(なん)でん穫(と)れんもんじゃい、もう百姓も困いよったし、殿さん達も困いよんしゃったて。そいどん殿さん達はねぇ、幕府ていう所のあって、沢山(よんにゅう)税金の代わりお金ば納めよらんさらんばやったてぇ。あったいどん、こけぇはねぇ、貧乏殿さんのおってさ、山ばっかい多(おお)うして木は余(あまい)い売れじぃ、米は穫れんごと日陰田の冷ーたか水ばっかいやったけん、チョッと、お金の毎年毎年、飢饉続きでなかったて。そいぎぃ、女中でん、家来達の全部(しっきゃ)あ出てね、

「この沢山(よんにょう)お金ば、あの、幕府さい納めんばらんとのきとったいどん、どぎゃんすっぎ良かあ。ここは、あの、切り抜けていこうでちゃどがんすっぎよかろうかあ」て言うて、大評定のあったて。そいぎねぇ、あの、家来の一(ひと)人(い)がねぇ、

「殿さーん。そいぎさあ、あの山ば」ち言(ゅ)うて、山ば指差してねぇ、「あの山ば、大坂の商人は恐ろしか銭持ちてばい。大坂の商人に、あの山ば売っぎぃ」て言うて。

「そいぎぃ、『あの山ば』ち言(ゅ)うぎぃ、どの山」て。そいぎぃ、指差した所ば見たぎねぇ、恐ろーしゅうその、禿山で木も植えとらんやったて。そいぎぃ、あいば我が木も植えとらんごと山ば、大坂の商人とでんが、買うじゃろうかあ」て。

「いんにゃ。大坂の商人どま小(こま)ーか品物ば持って行たて、やったい取ったい、やったい取ったいして、売い買(き)ゃあばしおっとやっけん、ぎゃん遠か所(とこれ)ぇ山まで見ぎゃあ来(こ)ん」て。そいぎぃ、「あの山はもう、あの、十里四方もあって。そうして木は、恐ろしかあの、良か木ばっかい茂っとっ」て、言うぎもう、ほんなもんに受くって。あの山ば売ぎぃ、ありゃあもう、木も育たんし、禿山でもう、長(なご)う山ばっかいあったてちゃあ、何(なーに)もなっとらんけん、殿(とん)さん、あればいっちょう大坂の商人に売んさい」て、家来の言うた者(もん)のあった。

「そいぎそりゃあ、良かあぎゃんと。そりゃ良かねぇ」て、言うてねぇ、「あいば、誰(だい)じゃい良か塩梅(んびゃあ)、話しぎゃ行たて、大方、大坂商人に売ってくっぎぃ」ち言(ゅ)うて、三人ばっかい家来がねぇ、出かけらしたてぇ。

あったぎねぇ、大坂の商人どまねぇ、恐ーろしか隣から隣、家ばっかいあって前の方は海で、土地ちゅうぎ広か所(とこ)のなか。そけぇ、山の話しのきたもんじゃいあ、

「そぎゃん良か山の十里四方もあっごた山ない、買おう」ち、じき手ば打ってねぇ、「もう見も何(なーん)もせん。殿さんの売んさっごとない、ほんなこっじゃろうだい。信用すっ」て言うて、すぐ売れてねぇ、家来どま大気になって来たて。

そいぎ殿さんなあ、その、幕府に納むるお金も、そいで切り抜けんさったて。そして、そん時はホッとしんさったいどん、またねぇ、一時(いっとき)したぎぃ、またその政府にお金ば、あの、差し出さんまごとなったて。あったぎぃ、そのたんびに殿さんな、

「山ば出せー。山ば出せー」て、「山ばかけてみゅう。山ば売いや行け」て、言んさっ。そいぎ山かけ、「山ば売いや行け」て。

「殿(とん)さん。そいどん、もう山ば何処(どこ)を売っですかあ。後は売られんばい。そぎゃんは、『あすこも売る、ここも売る』言うぎぃ、いよいよ敵どんが攻めて来た時ゃ、じきもう、城は丸裸になっ。そぎゃな売られん」て、言んさったと、一遍良か味ばしめて、「山ば売っ。山ば売っ」ち言(ゅ)うて、山かけの話。

そうして、その山も、もうどいしころじゃいも、十里四方もあっ、て言うて、大きく言うと、「山かけ話」て、そいから言うて。「殿さんの山かけ話」と大評判になったあ。

そいばあっきゃ。

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P587)

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