嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)
むかーしむかし。
ある村の爺ちゃんなね、孫に話しんさっこっちゅうぎぃ、
「爺ちゃんのない、いちばん下の息子は大坂に働きに行っとっよう。大坂に番頭さんにないや行たといよう」て、もう何時(いつ)ーでんしょちゅう、その話じゃったて。「爺ちゃんのいちばん下ん子が、大坂のおっ」て言うて、お爺ちゃんの話よんしゃったて。
ある日ねぇ、お客さんのあった時にねぇ、お爺ちゃんなねぇ、孫に言わしたて。その孫にねぇ、
「お天道さんと大坂とどっちが近かしょーう」て、お爺ちゃんが言いんしゃったて。あったぎ子が、孫が、
「そりゃあ、お天道さんさあ」て、言うたて。
「なしてぇ」て言うて、お客さんが今度、聞きんしゃったて。
「そりゃ、お天道さんの毎日(みゃあにち)見ゆっばってん、大坂は見えんもん。爺ちゃんの『大坂に我が子のおう、我が子のおう』ち言(ゅ)うて、よっぽどその子に逢(やあ)ーたしゃ言いよらすよ。大坂はいっちょん見たごってんなか、お天道さんはごっとい毎日見っ。そいけん、お天道さんが近か」
「なるほどうー」ち言(ゅ)うて。お客さんも、
「お前(まい)ん所(とこ)の孫は気の利いとっ」ち言(ゅ)うて、帰んさいたて。
あったぎねぇ、お正月近(ちこ)うなって大坂からその息子が来(き)んしゃったて。あったぎぃ、ぎゃん家(うち)ん子は気の利いとっとちゅうとば、爺ちゃんの自慢しゅうで思うてね、
「おーい」ち言(ゅ)うて、孫ば呼おうで、
「お天道さんと大坂とどっちが近かしょー」て、言いんしゃったぎね、
「そりゃあ、大坂さあ」て。
爺ちゃんのほんなこてね、お天道さんて言うてばかい思うとっんさっ。こないだんごと、お客さんの恐(おっそ)ろしか感心しんさったごと、お天道さんな毎日(みゃあにち)見ゆっばい、て言うて思うてねぇ、言んしゃったぎぃ、「そりゃ、大坂さあ」て、そいぎ爺ちゃんのビックイして、
「なしやあ」て、聞きんしゃったぎぃ、
「あんた、大坂からお客さんに、ほら、爺ちゃんごーっとい(イツモ)、あの、言いよったおんちゃんのこけ来(き)んしゃったもん。あいどん、お天道さんから一遍も来んしゃったことなか」言うたてぇ。
もう、子供はほんなことば言うたて。そいぎぃ、大坂のおんちゃんも、こりゃ気の利いとっちゅうて、ほんに頭ば「お利(り)口(こう)さん」ち言(ゆ)うて、撫(な)でんしゃったて。
そいばっきゃあ。
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P587)