嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)
名前は徳兵衛さんじゃったいどんねぇ、恐(おっそ)ろしか頓智の利いた人がおんしゃったてぇ。そうしたら、お城さにゃ上がっ時はねぇ、その徳兵衛さんが、足袋履(ひ)ゃあて行きおんしゃったてやんもん。もう、お城はツルツル磨き上げてしといどん、板のう寒い冬などは、足の痺(しび)るっごと冷(つめ)たかもんじゃ、徳兵衛さんな足袋履ゃあて来たて。
あったぎねぇ、じき、家老さんの目について、
「こら、こら。お前の身分ば考えてみろ。足袋などを履(は)いて、ここを通るもんじゃないぞ。今日の登城を不行き届き」ち、恐ろしかくりん(叱ル)しゃったてぇ。咎(とが)めんさゃいたて、家老さんの。そいぎ徳兵衛さん、
「はあ。どうもすいません、どうもすいません。不行き届きでございました」て、お詫びばしたて。そいぎ家老さんの言んさっぎぃ、
「こんたびまではいいが、以後は許さん」て、こう言んさったて。
「ははー、こんたびまではお許しですね。こんたびまではお許しですね」て、徳兵衛さんは言うたて。
そうしてからねぇ、またあくる日もねぇ、徳兵衛さんは紺の足袋ば履いて来っちゅうもんね。そいぎ同輩がね、
「これ、これ、徳兵衛さんやあ。また、お前さんなお咎めを受けたにもかかわらず、足袋履ゃあて来(き)おんない」て、言うたぎと、徳兵衛さんは、
「ああー、紺足袋はねぇ、許された。紺の足袋はいいんだよう」
「あはー、こん足袋は徳さんだけは許されたのかあ」と言うて、友達が言うた。
そいぎねぇ、ああ、あぎゃんとすぐそのねぇ、家老さんの目にとまって、
「まくら、この野郎、徳兵衛。また履いて来たかあ」て言うたら、
「いやいや。ご家老様、こん度まで許してくださったでしょう」て言うたら、
「『かまわん、かまわん』て、言うお言葉を聞いたじゃありませんかあ」て言うて、その急場ばしのびおったて、ね。
そういうもう、ほんーに頓智のある人だったから、徳兵衛さんには特別頓智てつけとった。頓智徳兵衛さんち、言われおった。
チャンチャン。
そういうことです。
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P582)