嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)
むかーしむかしねぇ。
何処(どこ)ーでも沢山のお米も作いよらんやった。村は貧乏(びんぶう)じゃったて。芋どんばあっかい
作いよったて。あったぎぃ、ほんに気の利いた若(わっ)か者(もん)がおってねぇ、この芋で飴ば作ってね、そいば売いぎゃ行きおったてばーい。そうしてねぇ、その飴をチョンと舐めよったら、「爺さんでん婆さんでん母さんでん、江戸まで行ける。江戸まで行ったら皺(しわ)まで行ける」ち言(ゅ)うて、もう面白う囃したてて、売ってじゃんもんねぇ。そいを誰(だい)でん、
「ああー、面白かとの来たあ」て言うて、その飴は皆が引かれてトントン拍子で売れおったて。
ところが、ある日のことねぇ、今度は、
「また売れたあ。また売れたあ。さあ売れたあ。さあ買いなあ」ち言(ゅ)うて、あの、若(わっ)か者(もん)が売いに来たとは、良(ゆ)う聞きおったぎねぇ、今度はねぇ、あの、
「魚一匹、百人前。魚一匹、百人前」て言うて、売りおっちゅうもんねぇ。そいぎぃ、誰か言うともなく、
「ありゃあ、三国一」て、「もう珍しゅう囃して売いぎゃ来(く)っ」て。
「一匹で百人前の、こんな安い魚は買わない者は、この世の損」て言うてね、面白言いおったそうです。
そいぎね、皆その太ーか袋に入ったとを買(こ)うた。ところが中を開けてみたぎぃ、小(こう)ーまか魚じゃったいどん、百匹ぐらい入っとろうなあ」て言うて、皆が食べた。恐ろしか知恵者じゃった、という話です。
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P578)