嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかし。

田舎者(もん)の連れ立って、京都上(のぼ)いしたちゅう。京都まで慣れん者(もん)の、ようようして旅籠屋に着いて、

「辺(あた)いは、都はいっぱい家(いえ)の沢山(よんにゅう)あーっ」ち言(ゅ)うて、窓から見よったぎぃ、「お寺も沢山あーっ。五重塔も見ゆっ。珍しかとばっかーい」ち言(ゅ)うて、皆が口々話よった時、宿屋の姉ちゃんが上(のぼ)って来たて。そうして、

「ほら、見てみんしゃーい。ほんな窓の下に見ゆっとが、あいが五条の橋ばあーい。あつこはほら、弁慶と義経が戦うた所(とこ)ばーい。あつけぇ、弁慶の沢山あぎゃんとば、刀ば、槍(やい)ば、刀じゃい槍じゃい集めおったちゅうと、ほんなそこよう。見にお出でなさあーい」ち言(ゅ)うてね、姉(ねぇ)ちゃんが言うたて。そいぎ田舎者ばっかいじゃったけん、

「そいぎぃ、田舎さんのみやげにいっちょ五条の橋ば行たて、目で確かめて見て来(き)ゅう」ち言(ゅ)うて、「牛若丸に弁慶の降参した橋どもなあ」て言うて、口々話(なに)ゃあて、早速、宿ば出かけたまでは良かったあーて。

あったいどん、田舎者の何処(どこ)じゃいここじゃい方角もわからじぃ、

「ぎゃん、京都の町」ち言(ゅ)うて、「宿屋ばっかい周り、家ばっかい多(うう)かぎぃ、ぎゃん、仰山(ぎょうさん)あっぎ我がどんの泊まい宿は、何処じゃいわからんなーい」て、一(ひと)人(い)が言うたぎぃ、

「そうそう。あいば忘れんごと、目印ば覚えとくがいちばん良かあ」言うて、言うた者(もん)のあったぎぃ、こうして見たぎ玄関の所(とこ)に、太ーか犬(いん)のちょきーんと座っとったてじゃんもんねぇ。そいぎぃ、まあ一(ひと)人(い)の人が、

「あの犬(いぬ)ば目印に覚えとっぎぃ、もう間違(まちぎゃ)あなか」て、言うたぎぃ、

「そうそう。良か塩梅(んびゃ)あ犬(いん)のおったもん」て言うて、ブラーッと、その五条の橋ば見ぎゃあ出かけんさった。

「もう、大抵触ったい何たいして見たもん。もう帰ろうかあ」て、帰る段になったぎぃ、

「何処(どこ)やったかにゃあ。犬(いぬ)のおったんがあ。犬のおっ所(とこ)しゃが目っかっかぎぃ、俺(おい)どんが宿屋たーい」ち言(ゅ)うて、ズーッと帰っちゅう。

宿屋は近うして姉ちゃんが、じきそこて。窓ん下て言うたいとん。犬(いぬ)のいっちょんどの宿屋を、こう見てもおらんちゅうもんねぇ。そいで、とうとう田舎からのお上いさん達ゃ、もう夜はふけて遅(おす)うなんまで、京都の町ばウロウロ、ウロウロじゃったちゅう。そいぎ宿屋では宿屋で、誰(だーい)も一(ひと)人(い)でん帰って来(こ)んもんじゃい心配して、とうとう宿屋では交番に迷い者届を出(じ)ゃあとったちゅう。

チャンチャン。

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P574)

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