嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

厠(かわや)でん持たん百姓がおったてたいねぇ。昔ゃとても貧乏じゃったちゅうもんねぇ。そいぎぃ、ようーやく稼ぎ出(じ)ゃあて、家(うち)の前に厠ば作っくごとなった百姓のおらしたて。

そいぎぃ、隣(とない)近所の者(もん)のねぇ、かねて厠でん持たじおったけんが、祝いにさ、柱ば持って来(く)ん者もあったて。萱(かや)ば持って来る者もあったて。雨の降っ時ゃ良(ゆ)うなかけん萱も持って来てやらんば。お祝いにそぎゃん物ばあっかい貰(もろ)うて、貰うたとばっかいで家ん前に厠のできたちゅう。そいどん昔ゃ、その厠ぐりゃあでんさ、役人の来て、そいば一斉調べおんしゃったちゅうもんねぇ。

そうして、厠如くにはさ、檜(ひのき)ていうとは、上等の材木じゃっけん中止されていた檜ば使うごとなんじゃったてぇ。ところがさい、その厠のでき上ってみたぎぃ、檜の柱の二本使われとったちゅうもん。貰うたとたい、近所から。そいぎぃ、じきねぇ、その厠ば作ってもろうた時ゃもう、嬉しかばっかいで、いっちょんそりゃあ気づかじおったて。

そいぎぃ、いよいよ検査の役人さん達ん来たちゅうもんねぇ。そうして、じきその、檜の木に気がついたて。あいどん、何(なん)じゃい袖ん下ば貰うじゃろうだいて、その役人どま楽しみして、ウロウロ、ウロウロ、何時(いつ)まっでん厠の回いば検査して回いよったちゅうもん。何時(いつ)、その、袖ん下ばジーッとくりゅうかにゃあ、と思うとったいどん、いっちょんその、気の利いて袖ん下くるっちゅう者(もん)がなかちゅうもん。そいぎぃ、こりゃあ、なぞどんかけてみんばにゃあ、と思うて、あの、役人達ゃおったちゅうもんねぇ。そうして、

「こりゃあ、あの、何(なん)ちゅうとかあ」て、厠作ったとに聞いたぎぃ、

「こりゃあ、厩でございます」て言う。

「あいどん、掘っ建て小屋じゃーい」て、聞いたぎぃ、

「そうでございます」て、言んしゃって。

そうして、袖ん下の欲しかもんじゃっけん、覗いてみたい、そこん辺(たい)ば歩いてみたいして役人なほんにその、ウロチョロウロチョロしおったいどん、とうとう何(にゃあ)事(ごと)もなく、誰(だーい)もそいに気づかじおったいどん、良(ゆ)う見おったぎぃ、あの、村ん者(もん)な、ありゃあ、あつけぇ柱に檜の使われとんにゃあ、て思うて。そうしてこりゃあ、どがんお咎(とが)めのあいろわかんみゃあ、で思うて、もうドキドキしおったちゅうもんねぇ。そいぎぃ、ジーッとその男が、あの、名主さんの袖ば引いてねぇ、そうして、

「ちかーっとばっかい握らせたこんな、ヒョッとすっぎ良(ゆ)うはなかろうかあ」て、耳うちしたちゅう。そうして、

「厠ぐりゃあでん、こりゃお祝(いや)あの印でございます」て言うて、握らせたぎぃ、そいぎぃ、お役人は太うか声ば出(じ)ゃあて、

「もう検査はすんだぞうー」て言うて、そのお祝いば貰(もろ)うて帰って行たちゅう。

そいばあっきゃ。

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P564)

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