嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

恐ろしか金持ちさんの家(うち)があったあて。
そこの一(ひと)人(い)息子さんに
お嫁さんの来(き)んさいたちゅうもんねぇ。
そうしてもう、
お母さんが何(なん)でん、あの、取りしきってしよんさっとけ、
お嫁さんなもう、そこにおんしゃっばかいで良かったあて。

ところが、一年ばっかいしてから
お母さんが他所(よそ)行きせんばらん用事のできんさったあ。
そして、
「今夜のご飯ば炊(ち)ゃあとってくんさーい」て、
お嫁さんに言んさったあて。
そいぎぃ、

「はい。そいぎぃ、幾らばっかい炊(た)くぎ良かでしようかあ」
て、言うたら、

「三杯ばかい炊くぎ良かろうばーい」て言うて、
出かけんさったあて。

そいぎぃ、
その嫁さんな米櫃(こめびつ)の前で、
お母さんな
何処(どこ)に用事で行きんさったろうわからんじゃったばってん、
三杯(さんびゃ)あぐらい、
そいぎぃ、三杯あちゅうぎぃ、
どしこぐりゃあじゃろうかにゃあ(ドレクライダロウカネ)、と思うて、
頭ばひねって考えよんさったいどん、チョッとわからんもんねぇ。
大抵も、こりゃあ早(はよ)うご飯ば炊かんぎぃ、ご飯なでききらーん、
と思うて、おんさったあち。
三杯あちゅうぎぃ、どんくりゃあやろうかにゃあ、と思うとんさった。
もうやっと決心して、お釜に三杯あ、三杯のこっちゃろうだーいて、
合点して、お釜に三杯ご飯ば炊きんさったてぇ。
そうして、

お母さんの帰りば待っとんさったてじゃんもんねぇ。

そいぎぃ、夕方遅うにお母さんの、

「ただいまー」ち言(ゅ)うて、帰って来(き)んさったちゅうもん。
そいぎぃ、嫁さんな自信満々じゃっんもんじゃっけん、
これ不足はあんみゃあだい、と思うて、

「チャーンと、お母さんの言んさったしこ、
あの、炊(ち)ゃあときましたあ」て、言んさったちゅうもんねえ。
そいぎぃ、

「有難(あいがと)う」て言うて、
お母さんの次の間に行たて
着(き)物(もん)ば着替えて来(き)んしゃったて。そいぎぃ、

「お母さん。ほら、ここにチャーンと用意しております」ち言(ゅ)うて、
三杯あのご飯ば、お釜三杯のご飯ば見せんさったぎぃ、
お姑さんは、もうビックイして、
もう開(や)あた口ゃ塞(ふさ)がらんて、
あきれた顔ばしとんさったちゅう。
そいぎぃ、

「あんたは、三杯はどしころじゃい知らんじゃっとねぇ」
て、言んさもんで、

「お母さんのあいどん、『三杯あ』て、言んさったろうがあ。
チャーンと、『三杯あ』て、言んさったと聞いたですよ」
て、嫁さんの言んさっ。

「本当ねぇ。『三杯あも三杯ぶい』て。お釜に三杯あじゃなしに、
二合五勺の枡に三杯炊くぎ良かったとう」
て、言んさったぎぃ、

「ああ、わからん時ゃねぇ、
何(なん)でん詳しく聞きしゃあぎゃすっぎ良かとよう」て、
お姑さんはほんにたしなめてやんさったて。

そいばあっきゃ。

そいでねぇ、あの、わからん時には聞くとは、
そん時だけ恥かしい思いをするけれど、
知らんでいると一生知らないままということよ。
そいで、
「知らぬは一生の恥、聞くは一時の恥」て。
聞くことが大事だということですね。

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P363)

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