嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

お殿さんがおんしゃったてぇ。

そいぎぃ、そのお殿さんなねぇ、

そこん方、ほんに貧しゅうして、

お米のその国はでけんじゃったちゅうもん。

そうした上、

子供を子沢山で沢山(よんにゅう)できおったちゅう。

そいぎもう、

飯米ば食ぶっとば足らんやったて。

そいぎねぇ、

「もう年寄いばしこりゃあ、捨てんぎぃ、

もう全部(しっきゃ)あもろ倒れせんばごとなっ」

て、言うようになって。

そいぎぃ、

重臣達と話し合うて、

「どぎゃん決みゅうかあ」て、言うごとなって。

「そいぎもう、六十歳ば境で山さにゃう捨(す)ちゅう。

山にう捨ちゅう」て、言うことになったて。

そいぎねぇ、

あるその親一(ひと)人(い)、子一人の青年がおったて。

そいぎぃ、

嫁さんもほんに気立ての良か嫁さんじゃったいどん、

おっ母(か)さんな自分からさ、

もう子供(こどめ)も

沢山(よんにゅう)ご飯ば食べさせんばならんけん、

何時(いつ)も臼で、碾(ひ)き臼で、

ゴロゴロ、ゴロゴロ豆の入ったとば挽(ひ)いて、

そうして、食糧にしおんしゃったて。

「今年も山ばっかいで日陰で米がでけん。

食べ物(もん)のなか」

て、言うごたっふうで、ほんに食べ物に困っとんしゃったぎぃ、

もうおっ母さんが、

「私(わし)が食い口減らしに山に捨ててくれ。捨ててくれ」

て、頼みんさっやんもんけん、

その息子さんな泣く泣く雪の降る日に、

山に背負(おぶ)って行きんしゃったて。

そいぎぃ、

おっ母さんの言んしゃっにゃ、

「雪の降る日に山に行くぎんとにゃ、

幸せに早(はよ)う成仏ばさるっ」て。

「そうして、余(あんま)い見苦しか格好もでけんけん、

雪の降っぎぃ、おっ母さんが成仏しよんしゃっと思うて、

雪の日に運んでくれや」

ち言(ゅ)うて、

もう自分から喜んで山に、おっ母さんの行きんしゃったちゅう。

そいぎぃ、

その息子は泣き泣き山に背負って行きよって、

「ああ、こんな雪の降る日に寒いだろうなあ」

て言うて、

「おっ母さん、大丈夫かい」て言うて、そこに行ったら、

「ああ、この雪さまは、お陰で私を包んでくいて良かあ。

立派に成仏でくっ」

て言うて、山の天辺にキチンと座んしゃったて。

そいぎぃ、

若者はねぇ、そいから帰り道も雪の降って、

家(うち)帰ったらドンドン雪の降ったちゅうもん。

そいぎもう、おっ母さんな凍え死におろう、震(ふり)いよろう、

と思うて、もうやもたてもたらんで、たまらんで、

その晩にもう、山さんおっ母さんば迎えぎゃ行きんしゃったて。

そうして、縁の下ん方に穴ば掘って、そけぇおっ母さんば隠して、

朝昼晩て、食事ば運びよったちゅう。

そん時に、お隣の殿さんからお使いが来て、

「あんたん所は、若(わっ)か者(もん)ばっかいじゃっけん、

知恵なしじゃろう」て。

「この、あの、問答に答ええんぎぃ、もう攻めて来っばい」て。

「あの村は、年寄いは一(ひと)人(い)でんおらんちゅうけん、

知恵を持っとん者はおんもんかあ」て、言うごたっふうで、

あの、同じ格好の馬ばやって、

「どっちが親子じゃいろう、調べよ」と。

そいから、

お盆に一様の長さの木ばやって、

「この後先ば答えよー」ち言(ゅ)うて、やんしゃった。

そしたら、

殿さんが村にお触れば出しんしゃったて。

「同(おんな)じ大きか、同じ顔つきのものを言わん馬ば見て、

どっちが親じゃい子じゃい見分けよ」と。

そいから、

その木の丸太ん棒ば持って来て、

「どっちが根元か調べよ」て、言んしゃったて。

そうしたぎぃ、

余(あんま)い誰(だーい)も知らんて。

そいぎぃ、

その雪の日に連れ戻った若(わっ)か者(もん)が、

縁の下のおっ母さんに、

「おっ母さん、殿さんのほんに困っとんさっ」て。

「この問題ば解きえんぎぃ、

隣の殿さんの、もう沢山軍隊ばつれて押し寄せて来っ」

ち言(ゅ)うて、お母さんに聞かせたら、

「なーんの。

そんなこと、わけない、わけない。

私(わし)があんた達ば可愛かごとさ、

もう馬の二頭同(おな)しことおっとに、

餌ば若(わっ)か草の美味(おい)しかごたっとのヒョロッとやっぎぃ、

親は子に食べさせようと思うて、眺めていっちょく。

食べんさっとよ。

そくと行たて食ぶっとは子たい。

子馬ば食ぶっとん、

親は子馬に食べさしゅうで思うて、食べんとよう」

「ああ、そぎゃんことない」

て、若(わっ)か者(もん)な言うてねぇ。

「そいぎぃ、おっ母さん。

丸太ん棒は一様に根元も、一様の太さばい。

そいばさ、どぎゃんして見分くっとう」て言うた。

「そいもさ、易しいことだよ」て。

「水に、その丸太ん棒ば浮かべてみっぎ

根元はもう、長い年月が経って初めからあっとじゃっけん、

重みがあって沈むよ。重たい」て。

「重い沈む方が根元で、軽かとが先たい。

若(わこ)うしてね、芽の実っとらんけん、じき浮く」て。

「そいけん、沈む方が根元。わきゃあはなか」て。

「誰(だい)も、そがんくりゃあ知恵で知らんぎぃ、

殿さんに教えろ、教えろ」

て、言うてねぇ、知恵ば授けたて。

そいぎぃ、

その若っ者な殿さんの前で、おっ母さんから習うたごと言うたぎぃ、

「それは、お前(まい)の知恵か」

て、殿様がおっしゃったから、

「いいえ。私の知恵じゃありません」て。

「年取った母を、あの、姥捨山に連れて行きましたけど、

雪がこう降って、もう本当に母が不憫でたまらんで、

連れて帰りました。

そうして、実は私の縁の下におります」

て言うて、泣きながら言うたぎぃ、

殿さんはその言葉に、

「その知恵もだけど、母思いのその言葉に親孝行。

こりゃ、感心な子供だ。そうなくちゃいけない」て。

「もう、今からは村に親ば粗末にして捨てるというようなことは、

こりゃ絶対許しちゃならん」と。

「ほんに親ば大切にしてこそ、村は栄える」

て言うて、

姥捨山の掟はそいからなくなすごとしんさったて。

そして、

難題を書けた隣の殿さんには、

以上のことを書いてやったら、

「向こうの者な知恵の多(うう)か者のおんにゃあ」て言うて、

もう何事があっても隣同士、殿さん同士仲良くしんさったて。

こういうこと。

[五二三A 親棄山(AT九八一)]

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P363)

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