嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

ある所に六十になったぎねぇ、

男でも女でも山に捨てんば

ていうお触れが出されとった村があったてぇ。

そいぎぃ、

とても正直な若(わっ)か者(もん)が

おっ母(か)さんを背中に背負って、

山道ば、ああ、

大事なおっ母さんじゃいどん、捨てんばなあ、と思うて、

背負って行きおいよったら、

背中に負われたおっ母さんが、

捨てぎゃ行かるっ道々、

真木の木ばポキッポキッて、折って行きんさっちゅうもん。

そうして姥捨山の頂上に着いたらねぇ、

「お前(まi)が帰る時に道がわかるように、

木をズーッと目印に折ってきたんだよ」て。

「そいば目印にして無事に山を帰って行きなさいよう」て、

その我が息子さんに言んしゃったて。

(本当にねぇ、我がは死んでまで、

しかも捨てらるっ。

そいを若(わっ)か者(もん)の我が子のことを思うて、

もう木ば折って目印にして、有難いことですねぇ。)

そいぎぃ、

子もまた、おっ母さん思いじゃったけれど、

泣く泣く、

その木ば折ったとば目印に

自分の家(うち)に辿(たど)り着くことができたて。

けれども、

考えてみっぎぃ、考えてみるほど、

あんな山奥におっ母さんが一(ひと)人(い)

ちょきーんとご飯も食べじぃ、

夜は寒かったい怖(え)すかったいすっとも

我慢して座っているかと思うと、不憫でたまらじおったて。

もう一晩中、寝られんで不憫で、

翌朝はまた暗かうちから起きて、

そのおっ母さんを捨てて来た山さい迎えに行ったちゅう。

そうして、

「早(はよ)う夜の明けんうちに」ち言(ゅ)うて、

自分の家(うち)の縁の下に隠しとんしゃったちゅう。

あったぎねぇ、

その昔ゃ、

一つの村から隣村ば攻めて、

殿さん達の戦争して攻め寄せて来っとが流行(はやい)じえゃったて。

我が勢力ば広ぎゅう広ぎゅうでしよいなったどん、

隣(とない)の殿さんの難題ば持って来んしゃったて。

あの、

「灰で縄ば綯(の)うてねぇ。

そうして、我が所(とけ)ぇ進物に持って来い」

て言う、難題ば持ちかけんしゃったて。

そいぎぃ、

その若か者の、

おっ母さんば縁の下さい連れて来た所の殿(とん)さんな、

村中に触れを出して、

「灰で縄綯(の)うて、盆にいっぱい持って来い」て言う。

「締め切りは何時(いつ)まで」て、言うたいどん、

締め切りの前の日まで、またその日なっても、

灰で縄綯(な)いゆっ者(もん)は

誰(だーい)もそぎゃん者(もん)なおらんやったけん。

そいぎぃ、

「あの、おっ母さんやあ、

あのねぇ、こぎゃん触れの出たばーい」て、

床の下におっ母さんば隠しとっ若か者は、

おっ母さんに、

「何(なん)なあ。そんなのわけない、わけない。

もうその、灰にさ、塩水ばいっぱい作ってかけて、

そいば燃やすぎよか。

立派に崩れじぃ、灰で縄綯うたごとしとっよう」

て、教(おそ)えんしゃったて。

そいぎ

若か者な、

もう昼過ぎてからそいば思い立って、

塩水ばいっぱいかけて、

そうして、燃やあてみたて。

下からドンドン焚(ち)ゃあたぎぃ、縄の姿んごとしとったけん、

ソーッと崩れんごと盆にのせて、

我が殿さん所(とけ)ぇ持って行たて。

そいぎぃ、

殿さんなねぇ、

「でかした。

たった一(ひと)人(い)持って来てくれた。

こいで良かった。

向こうから、隣(とない)から攻め寄せられじよかった。

ぎゃん良か知恵のあった。

お前(まい)が、こりゃ一(ひと)人(い)で考えたことかあ」

て、こう聞きんさったて。

そうして、

「灰で縄綯うて来た者は、望みどおりの褒美ばつかわす」

て、こういう触れ方やったて。

そいぎねぇ、

その若か者はねぇ、呼び出されたて。

そうして、

さっきんごと聞きんさったて。

「お前(まい)たった一(ひと)人(い)の知恵じゃったか。

お陰で我が村は助かったぞ」

て、言んしゃったて。

そいぎぃ、

「恐れながら申し上げます。

望みは確かに、望みどおり言ったしころのご褒美に預かりましょうか」

て、聞いたぎぃ、

「うーん。やるともやるとも。

うちの村ば救うてくれた恩人じゃっけん、やっ」

て、言んしゃったけん。

そいぎぃ、

「実は六十になる母は、これこれ然々(しかじか)で、

もうどうしても、今まで育ててくれた大恩あるおっ母さんば

捨てるごとできんで、縁の下にか囲まっております。

この母を、どうぞ許してください。

捨てることだけは許してください」

ち言(ゅ)うて、

その若(わっ)か者(もん)が言うたぎねぇ、

「おうー。そうであったか。

知恵ば持っとるのは年寄いか。

そんなら年老いばかつがつ捨っことなん。

年寄いは、ああいう汚(きたな)のうなって、

ヨボヨボなって役に立たんごとなったけど、

大切な知恵ば持っとんない、捨てるに及ばん。

大切な宝じゃ。

じゃあ、おっ母さんはそのまま一緒に暮らすが良かろう」て。

「今から六十になった親でも捨っごとなんぞ」

て、殿さんは申されて、

それからは年寄いを山に捨てない規則が作られたと。

そいばあっきゃ。

[五二三A 親棄山(AT九八一)]

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P363)

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