嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

貧しか家(うち)に良(よし)しゃんちゅう子供がおったてぇ。

この良ゃんのお母さんの五人も子供を残して、

ちぃ(接頭語的な用法、ツイ)死にんしゃったて。

そいけん、

太か順に他所(よそ)の家(うち)に預けられたい、

丁稚奉公にやられたいしておったいどん、

良ゃんはいちばん小(こま)かもんじゃいけん、

お父さんと二人で暮らしおったて。

そいどん、

この良ゃんな気の強うして、

乱暴者(もん)で手におえんじゃったて。

そいけん、

お父さんはあっちの人にも、

「ああ、すみません。良が横道(おうど)か者(もん)じゃっけん、

すみまえん」ち言(ゅ)うて、

あっちにもこっちにも、謝いどうしじゃったて。

そいぎぃ、

親戚の人がこいば見て、

「これこれ、爺さん。

良ゃあ寺に預くっとがいちばん良かぼうー。

あのまま大人にどんなっぎぃ、手のつけようのなし、

お前(まい)の頭痛の種ばい」ち言(ゅ)うて、くいたて。

そうして、

とうとう良ゃんな六道寺さい、預けらるっごとなったて。

六道寺にやられた良しゃんな、

そいどんね、人が変わったごとなって、

和尚さんの言んしゃっことは、

「はい。ない。はい」ち言(ゅ)うて、

何(なん)でもよう片付(かたつ)くっちゅうもん。

そいぎぃ、

和尚さんも気に入ってね、

「ぎゃーん良か者(もん)ば、

なし手におえんてんなんてん言うたかあ」て言うて、

もう何時(いつ)ーでん良ゃんを褒めて、

ほんな親子のごとして暮らしよんしゃったて。

ところが、

ある日のこと、このお寺にね、

禅問答すっ和尚さんのやって来たて。

明日(あした)は偉か和尚さんのうちん寺に来(こ)らす」て。

六道寺はねぇ、高(たーっ)か所(とけ)ぇあんもんじゃっけん、

座敷の縁の前どんおぎぃ、

下ん方の塩田の川の流れの見ゆって。

ところが、禅問答さんの来んさいた日も、

舟の行たい来たいしおったてじゃっんもんね。

そいぎぃ、

いよいよその日になってねぇ、

禅問答の和尚さんな来らしたて。

そうして、

「あらー、今まで見慣れん小僧さんの来たばいなあ」て言うて、

良ゃんがお茶を運んで来たぎぃ、

「これこれ、小僧や」て言うて、

チョッとからこうてみようと思うて、その禅問答の和尚さんが、

「お前(まい)所(とこ)見晴らしのいいなあ。

あつこの川は何(なん)て言うかなあ」て、言うたら、

「ああ、あつこは、『塩田川』て、言います」て、言うたら、

「あすけ、ほら。舟の行たい来たいしおっとは、

あいば座敷のこけぇ、お前座っとってさ、

今のままに他所(よそ)さいはって行かんごと、止めてみよ」

て、その和尚さんの言んさったちゅうもんねぇ。

そいぎぃ、

良ゃんな、

「はい」ち言(ゅ)うて、じき立って行たて、

障子ばピシャーンて、閉めてしもうて、

「和尚さん、和尚さん。

舟は坊さんの見んさった所(とっ)からもう、

何処(どけ)行たろうわからんじゃろう。

止まっとばい。目に見えたばっかい」

て言うて、良ゃんが言うたて。

そいぎぃ、このお坊さんな、

アッハハハで、カッカッカと笑うてね、

「お前(まい)のごと体ば動きゃあて行たて、

障子ば閉めてから、見えんくさい。

さっから舟を見たままくさい」て言うて、

アッハハハで笑いんさった。

そいぎ

今度(こんだ)ねぇ、良ゃんなねぇ、

「あの舟は、一本松ん所(とこ)まで来とっばいねぇ、和尚さん」

て言うて。

そうして、硬(かと)う目ばつぶったて。

そうして、

「和尚さん、私はその舟が一本松ん所(とこ)まで来たままだけど」

て、こう言うたぎぃ、

またそのお坊さんは、ウッフウフウで笑うてね、

「ああ、愉快な小僧だ。

ほんにぎゃん気の利いた小僧は初めて会うた。

この小僧は、あの、和尚さん、私に教育ば任せてくんさい。

京都さい、いっちょ連れてむっ。

ぎゃん田舎に置いとくとはもったいなかごたっ、

こりゃあ機転の利く小僧ばーい」て言うて、

その和尚さんな京都さい連れて、

そうしてねぇ、立派なお坊さんになったてゆう話です。

そいばあっきゃ。

[五二〇 蒟蒻問答(AT九二四)(類話)]

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P363)

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