嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかしむかしねぇ。

あの、京都の本山からね、田舎の祭りのお坊さんの所に、

問答僧ちゅうとがやって来らしたちゅう。

ところがねぇ、

そのお寺は門前に饅頭屋の小僧さんがねぇ、

そこに来て、そのお寺の和尚さんなね、

脳溢血で倒れてほんな一年ばかい亡くなんさった後じゃったて。

そいぎぃ、

その饅頭屋の小僧さんに上げられとはねぇ、

その、和尚さんの代わいば勤めとったて。

あっとこれぇ、

問答僧までやって来て、こりゃ追い払わるちゅうことで、

自分のあの、饅頭屋の本家に行たて、

「チョッと困ったあ、困ったあ」て言うもんじゃい、

その饅頭屋のいちばん主人に、

「良か、良か。心配すんな。

先代の和尚さんの衣どまあっぎんとにゃ、私(わし)に貸してくれや」

ち言(ゅ)うてね。

そうしてあの、和尚さんの衣どん着ておったぎね、

じき問答僧が来た。

そうしてねぇ、

丸(まーる)か両方の手で丸か輪を作って、

差い出(じ)ゃあたもんじゃいね、

その、兄ちゃんのねぇ、まーあっと太ーか輪ば作んしゃったてぇ。

そうしてねぇ、

あの、今度はねぇ、

あの、こう大きか輪ば作ったあ。

今度はねぇ、

「こい幾らか」て、その人ば指しんしゃったぎね、

そいぎぃ、手ば五つ広げてグッグッて、しんしゃったて。

そいぎぃ、

その和尚さんなねぇ、あの、三て指ば出(じ)ゃあて、

だったもんじゃい、

「あかんべぇ」て。

あったぎもう、

そうしおっうちねぇ、

もう、その問答僧さんな、

「もう、さらば」て言うて、

帰って来(き)んしゃったあ。

そいぎぃ、その饅頭屋の言うには、そこば出てから、

「何事(にゃあごと)なかったあ。

京都の本山から来たちゅうて、何事なかったあ。

お前(まい)ん所(とこ)の饅頭は、ぎゃん小(こま)かろう」

ち言(ゅ)うて、聞いたけん、

「いんにゃ。ぎゃん太かあ」て言うて、

「あったぎ、幾らかあ」ち、こう聞いたぎぃ、

「五文」て、言うたぎぃ、

「三文にまけろ」ち。

「あかんべーぇ」て言うた、言うて話しんしゃったぎぃ、

ほんなこと問答僧はね、あの、

「世界は」て、言うたけん、

「大海のごとし」て、あそこの和尚さんは言うたよう。

そしてもう、

「次から次に私(わし)ばまきゃあたあ。

そうして、最後にはねぇ、本尊な我が目の中にあり」

て、こうして言うたあ。

「学のある人やった」ち、帰った。

そいばっきゃ。

[五二〇 蒟蒻問答(AT九二四)]

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P363)

標準語版 TOPへ