嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

有明の孫兵衛さんなねぇ、

誰(だい)と相撲しても孫兵衛さんに勝つ者(もん)はおらんちゅう。

そいぎぃ、

「俺(おい)が日本一じゃあ。相撲取い日本一は孫兵衛じゃあ」

て言うて、孫兵衛さんの恐(おっそ)ろしゅう威張いよんさった。

あったぎねぇ、

ある日んことねぇ、表縁(おもてえん)におんしゃったぎぃ、

鳶どんがさ、ピーヒョロ、ピーヒョロちゅうて、飛んで来たて。

そうして、近くの木に止まったぎぃ、もの言うたて。

「孫兵衛さん、お前(まい)よいたあ強かとはおいなっばい。

お前(まい)よいかもっと強かとの遠ーか、

こっから西日本にき唐(から)の国ていう所(とけ)ぇおいなっ」て。

「自慢すっぎんた負くっぞうー」て言うて、

ピーヒョロ、ピーヒョロて、言いよった。

そいぎねぇ、

孫兵衛さんもチョッと考えんさった。

「唐の国にそがん強かとのおんしゃってなあ」

て、呟(つぶや)きんしゃったけん、

また

ピーヒョロ、ピーヒョロやって、

その元、止まっとった木の枝じゃい止まって、

「教(おさ)ゆうか。

そりゃねぇ、あすこにも飛うで行たてみっぎぃ、

その、唐ん国の相撲取いさんには、

おっ母(か)さんの小(こま)んか時(とっ)から鉄の粉ば、

ベラベラ、ベラベラ『強うなれ、強うなれ』ああー、あの、

『力ん出ろ、力ん出ろ』」て言うて、

この鉄の粉ばもう塗りつけよんしゃったて。

あったぎあの、

ピーヒョロば私(わし)が見ぎゃ行た。

そいぎねぇ、ピーヒョロ、ピーヒョロおっ母さんの、

もう、空に青ーか、そん時は良か天気じゃったけん、

空に輪ば太う描(き)ゃあて、ピーヒョロ、ピーヒョロち言(ゅ)うて、

言いおったぎねぇ、

おっ母んの一生懸命見よんしゃったぼう、

この田圃の鳶(とんび)ば。

あったぎねぇ、

頭のほんな天辺にさ、親指ばっかいその鉄ん粉ば塗い、

そこにゃあとったて。

そいけん、唐さん孫兵衛さん行たて、

相撲どん取って力較べばしゅうで思いなんね。

あの、頭の天辺のそこいっちょフハアフハアフハアしとっけん、

そこば探い当てて、

「うんと押(おし)ゃあつくっぎ負けなっばん。お前が絶対いい」

ち言(ゆ)うてね、

またピーヒョロ、ピーヒョロていうてねぇ、みたて。

そいぎねぇ、

あの、孫兵衛さんはその唐までも行たて、

その、唐の唐一ていうごたあ太ーか男と相撲ば取んしゃったいどんね、

頭に手ば回(みや)あて、向こうも強かったいどん、

天辺の弱かていう所に押えんしゃったぎぃ、

その男ひと転びじゃった。

そいぎぃ、ますます自信ば持ちんしゃったあーて。

と、言うことで、日本一の相撲取いさん。

そいばっきゃあ。

[四八〇 仁王と賀王(AT一九六二A)(類話)]

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P363)

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