嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーし。

ある所にねぇ。こけも良かお爺さんと悪いお爺さんとがおらしたちゅう。良いお爺さんな毎日毎日、山に焚物(たきもん)取りに行くが、そいが仕事やったちゅうもんねぇ。

「十二月の寒か日に山に行けば体が温(ぬく)もっ。家(うち)に寒さば堪(こら)えておいよいか、よっぽど良かーあ」ち言(ゆ)うて、山で薪(たきぎ)を取って帰りかけたぎねぇ、ヒューヒュ言うて、誰(だい)じゃい泣きおってじゃんもん。その声ば聞いてお爺さんなねぇ、その声ん所に近づいてみたぎぃ、青か鬼のさ、人間の猪(いのしし)ば捕ろうで仕掛けた罠(わな)に足ば挟(はさ)んで、青鬼の力まかせに引っ張るぎぃ、引っ張っほど痛かて。

「足に繰い込んでちぎるっごたっ」ち言(ゅ)うて、痛がって泣きおった声じゃったて。

そいぎぃ、心の優しいお爺さんな薪(たきぎ)どまその辺(へん)に投げ捨てて、鬼に近寄って行たてね、その螺子(ねじ)で仕掛けてあっとば外(はじ)いてくいて、見たぎ足に酷う繰い込んどったてぇ。

「痛かったろう」ち言(ゅ)うて、その罠から青鬼の足ば取ってくんしゃったて。青鬼はねぇ、喜んで涙ば流(なぎ)ゃあて、

「有難うございました」ち言(ゅ)うて、お礼ば言うたちゅう。そうして、腰にブラ下げとった、打出の小槌ばさ、その良いお爺さんにくいたちゅうよう。

「こいは、我が欲しか物の名前ば言うて、一(ひと)振いすっぎ何(なん)でん出てくっ」て。「我が欲しかとば言んさい。そして振っぎ良かあ」ち言(ゆ)うてねぇ、そいばお爺さんにお礼のしるしにくいてさ、足は引き引き跛(びっこ)しながら、奥山さ帰っていったちゅうよう。

そいぎぃ、お爺さんな家(うち)に帰ってねぇ、早速、

「米出ろう。米出ろう」て、言わしたぎぃ、ザクッザクッザクッちゅうて、お米のその辺(へん)にいっぴゃあ出てきたちゅう。余(あんま)い沢山(ゆんにゅう)出てきたもんじゃい、その米ば入るっ倉の欲しかにゃあ、と思わしたもんじゃい、今度は、

「倉出ろう。倉出ろう」て、言わしたぎぃ、倉の立派(じっぱ)かとのじき出てきたちゅう。

そいば隣(とない)の悪か爺さんな、じきかぎつけて見おったとばい。そうしてねぇ、良か爺さん所(とけ)ぇやって来て、

「お前(まり)ゃ、良か物(もん)ば得たない」て。「良か物ば得たない」て。「俺(おれ)にも貸してくいて良かろうだーい」ち言(ゆ)うて、じきひったくって、我が家(え)さい借って持って行たてぇ。

そうして悪か爺さんなさ、俺(おい)も、米も、倉も一緒に出(ず)っごといっちょしゅうで思うて、

「米倉出ろう。米倉出ろう」て、言わしたちゅう。あったぎぃ、小(こーま)か盲のさ、ゾロゾロ、ゾロゾロ何処(どっ)からじゃい沢山(よんにゅう)出てきたてじゃんもん。そいぎねぇ、

「そん盲じゃなか。米倉じゃあ。米倉じゃあ」て、また爺さんが言うぎぃ、またゾロゾロやって小か盲のまた、沢山(どっさい)出てきたて。

そうして、余(あんま)い沢山(よんにゅう)盲が出てくんもんじゃい、悪か爺さんなとうとう村から逃げ出(じ)ゃあたてばーい。

チャンチャン。

〔四一二 米倉小盲(cf.AT五六三、五六四、七五〇A)(類話)〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P363)

標準語版 TOPへ