嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

一(ひ)人(とい)息子を持ったお婆ちゃんのおんさったて。そいぎぃ、そのお婆ちゃんにお嫁さんが来たあ。ところが、今も昔も同しことで、大変その、嫁さんが来るともう、自分な息子を取られたような気がして、お婆ちゃんがもう何時(いつ)ーも、嫁さんの何(なん)か落ち度があると、何か咎めてやろうで思うて、つい監視しおんしゃったてぇ。そいでもう、小言ばっかいそのお婆ちゃんが言んしゃんもんねぇ。「右ちゅうぎぃ、左」。左のことすっぎぃ、「いんにゃあ、右じゃったあ」ち言(ゅ)うごとふうで、もうちょっと嫁さんは「はい」て聞くけども、お婆ちゃんがお嫁さんば憎みんさって。

そいぎねぇ、お嫁さんなとうとうたまらじぃ、お医者さんの所に相談に行きんしゃったて。そのお医者さんが方は、自分のお母さんの兄さんで叔父(おんじ)さんじゃったもんじゃい、

「ほんに、あつこのお婆ちゃんなやかましかちゅう評判じゃったけん、そがんじゃろう」て。

「ほんにもう、朝から晩までもう、目ば光りゃあきゃあて私に、小言いおうでかみゃあとんしゃっ。そいけん、早(はよ)う死にんさっごと、何(なん)じゃい薬(ぐすい)のあんみゃあかあ」て、その相談を嫁さんが行ったぎねぇ、

「うん。そりゃあ、ありゃあすっどん、余(あんま)い毒ばやってコロッて死なるっぎぃ、お前(まい)さんな警察から引っ張らるっぱい」て。

「そいぎぃ、そぎゃんとわからんごとして、お婆ちゃんの死んでしみゃあんさっ薬のあんみゃあかあ」て言うたぎぃ、

「うん。良か塩梅調合してやっ」て言うて、そのお医者さんの白ーか粉薬(くすい)を、

「この粉薬ば、ちかーっとずつ毎日飲ますっぎぃ、仕舞(しまーり)ゃ極楽に婆ちゃんの行くて。そいでお前も楽ーになって。そん代わり、いっちょ条件のあったい」て。「この薬もろうて行くないば、婆ちゃんどがんこってんがじき死んなっけんが、そいけんがその、良(ゆ)う仕えんばて。何(なん)でん嫌なことでん、『はい、はい』て言わんば。もうそら、今日(きゅう)帰る時、婆ちゃんが何が好いとんしゃろう、お饅頭が好きならお饅頭を買(こ)うて行たて、『婆ちゃん、美味(おい)しかごたったけん、お饅頭のあったけん、買うて来たあ』て言うて。『うーん』ち言(ゅ)うて、銭(ぜん)使うてぇ」て、言われても、ニコニコして「柳に風」ていうごとして、そのお饅頭を心いう食べてもらうこと」て。「こいば約束しわゆんないば、この白か粉薬をやっ」て、お医者さんの言んしゃったもんじゃっけん、

「婆ちゃんの死にんしゃことないば、どぎゃなこてでん我慢して、『はい、はい。そうです、そうです。ああ、ごめんなさい、堪忍してください』て言うふうにして、よう今からねぇ、あの、お仕えします」て。

そういう約束をお医者さんと交わして、帰ったて。そうして言われたごと、お饅頭の湯気のあったとの美味(おい)しかごたっとのあったけん、そいば持って、

「ただいま」て、言うて帰ったら、

「何処(どこ)で油うっとったかあ。ほんに何時(いつ)まってん帰らじぃ」て、もうじき小言やったて。

「ほんに申しわけありません。あの、饅頭屋さんのもう、美味(おい)しかごたっとのあったけん、そこに帰り寄ったぎもう、買い物のもう、そこは評判のお饅頭屋さんちゅうて、沢山(よんにゅう)おんさったけん、ぎゃん遅うなって、すいません、すいません」て言うて、「お母さん、美味(おい)しかお饅頭どうぞ」ち言(ゅ)うて、食べんさったて。そいからもう、「お母さん、風呂良か塩梅(んばいい)沸いとっけん、入ってください」て。そして、「背中を流しましょう」て。

そいからもう、また何時(いつ)ーでんが背中を摩ってやったい、そいから休んどっさっぎぃ、

「こんくりゃあじゃ寒かろう」ち言(ゆ)うて、着物を着せたい、とても良く仕ゆって。

あったぎねぇ、その婆ちゃんもほんに良(ゆ)うなってねぇ、ほんに家(うち)の嫁御は良か嫁御のうちんごたあ。あいどんのせいじゃいろう、もう、家の息子の嫁では、我が息子が占有してしもうたと思うぎぃ、腹ん立って仕様(しよん)なかて。それで、我がが悪かとかにゃあて、思うごとなったねぇ。そいが、一日経ち、二日経ち、とっても嫁さんが悠々て言うてやんもん。そうして婆ちゃんに、

「この薬ば飲むぎぃ、ほんに体の調子が良か」ち言(ゅ)うちゃ、その薬(くすい)ば飲ますって。

あったぎぃ、婆ちゃんもねぇ、だんだん自分な余(あんま)いわけん口わからじ嫁さんば憎んどったとばわかって、ああ、ぎゃん良か嫁御の来てくいたない。良かったねぇ、と思うごとなったて。

あったぎ嫁さんも、家(うち)んお母さんな、やっぱいおんさらんぎ良(ゆ)うなかあ、私の大好きな聟さんの親だ者(もん)と、言うごとなって。

今度はその、医者の所(とけ)ぇ駆け込んでね、

「あの、先生。私ゃもう、本当にあの、良くない嫁でした」て。「ほんに、お母(か)さんの早(はよ)う死にんさっぎ良かと思うとったいどん、大間違いで罰かぶっ」て。「私(あたし)の大事な、あの、主人ば、育ててくんさったお母さんじゃっとこれぇ、ほんに早(はよ)うどん死なるっぎ困っ。どぎゃんかして、死にんさらん方法はあんみゃあかあ」ち言(ゅ)うて、泣き込んで行たて。そいぎねぇ、お医者さんの言んしゃには、

「ああ、そうじゃったか。お前(まい)所(とこ)は、そぎゃん良か嫁と姑になったかあ」て。「実はねぇ、あの粉薬はさあ、あいは蕎麦ん粉」て。「何(なーん)も人の死んごたっ薬じゃあんもんかい。いったん良(ゆ)う消化の良(ゆ)うして良か」て言うてね、「ありゃ、死ん薬じゃなかったけん、今んごと心持ちでいくぎ家庭は平和で良かてぇ」て、言んしゃったて。

そいばあっきゃ。

〔三九九 姑の毒殺〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P363)

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