嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

昔は学校もなかったし、何【なーん】も、

そいけん世の中にも村から出た者おらず、

いっちょん名を知らん者【もん】ばかいやったてぇ。

そいも、むかーしむかしたいねぇ。

田舎の名主さんに、

たった一【ひと】人【い】息子さんば持ちんしゃったて。

そいぎぃ、恐ーろしゅう可愛いがいおんしゃったちゅうもんねぇ。

そいで、その名主さんが、

私【わし】はさ、田舎者【もん】でこの年なって仕方なかえどん、

せめて息子ないとん、チャンとしたことを覚えさせたかにゃあ、

と思うて、都さいやっことにしんさったちゅう。そして、

「これこれ、息子。お前【まい】はにゃあ、

俺【おい】が跡継ぎして名主さんにならんばらんけん、

何【なん】でん知っとることに越したことはなか」て。

「そいけん、いっちょ都さい行たて学問ばして来い」て言うて、

息子ばやんさったちゅうもんねぇ。そいぎぃ、

「あい」ち言【ゅ】うて、

その息子もほんに素直に良かとじゃったけん、

行きよったちゅう。

ゥウッと、都さい目かけて。

【昔ゃ、汽車もなければ、何【なーん】も、

そがん自動車もなか時分じゃったけん、】テクテク歩いて行きよったちゅう。

そいぎねぇ、その一【ひと】人【い】息子さんが道端で休んどったぎねぇ、

外の者もそこへ休んどっ人の一時【いっとき】ぱっかいしたぎぃ、

「俺【おい】、やるべぇ」て言うて、親方の声ばかけたぎぃ、

全部【しっきゃ】あ立って、石運びば始めたちゅう。

ありゃあ、ぎゃーあん他所【よそ】さい来【く】っぎぃ、

何【なん】じゃいしゅうかあ、て言うことは、

おい、やるべぇ、て言うとじゃろうなあ、と思うて、

チョッと関心しんしゃったちゅうもんねぇ。

ああ、こりゃあ、何【なん】じゃいしゅうかなあ、

石んことば、やるべぇじゃろうかあ、と思うたいしおんしゃったて。

そうして、ズーッと歩いて行きおんしゃったぎぃ、

もう都辺【にき】じゃったとみえて、何【なん】じゃいろう、

硬いその、食べ物の碗【わん】のごとある

焼物ばっかい見たごとあったいどん、

赤ーか塗り物のお碗ば籠に荷担【いの】うた商人が来て、

「朱碗、朱膳。朱碗、朱膳」ち言【ゅ】うて、行きおったちゅう。

そいぎぃ、赤かとばその息子は目【め】ぇかかんもんじゃい。

そいぎぃ、赤かとは朱碗、朱膳ていうことじゃろうかあ。

こいも、ほんに珍しかねぇと思【おめ】ぇんしゃったてぇ。

チョッとねぇ、所が変わっぎぃ、きゃん言葉まで違うにゃあ、

と思うて、その息子は長【なご】うおらじぃ、

無事に帰んしゃったてぇ。

そして、石んこと何でん、じき

「やるべぇ」て言う。

そして、赤かとは

「朱碗、朱膳」て言う。

そいぎ村ん者【もん】が、おかしかにゃあ、

て、いっちょん話ゃ通ぜん。

こりゃあ、ちんぷんかんぷんで、

いっちょんその息子さんの言うことは、

皆が本気にせんじゃったちゅう。

折角、名主さんな物知りになそう、と思うて、

やんしゃったばってん、

やっぱい所変わればもの言うものも変わって、

一【ひと】人【い】そこにおっぎぃ、

そこに思うもんどん全部【しっきゃ】あ、

通ぜんことを言うたてちゃ、心まで通ぜんじゃったちゅう。

チャンチャン。

〔318 旅学問〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P465)

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