嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかしねぇ。

金持ちの分限者さんの家があったてぇ。

そこには男の子が三人おったちゅうもんねぇ。

ところがねぇ、

そのお父さんが病気してさ、あの、今にも死んごとなんしゃったて。

そいぎぃ、

三人の子供ば枕元に呼んで、

「お父さんはもう、とても助からん」て。

「家【うち】にはもう、これだけの財産があるけど、

お前【まい】達の良かごとわけて良か」て。

「あいどん、第一の財産はね、家【うち】の葡萄畑の、

広か葡萄畑のある畑ん中【なき】ゃあ埋めとっ」て。

「そいけんが」ち言【ゅ】うて、そこまで言うてねぇ、

とうとうお父さんなちぃ【接頭語的な用法】死にんしゃったて。

そいぎぃ、お葬式もすんでしもうてから三人は、

「あの葡萄畑ば掘ってみゅう。

掘いくい返してみゅう」ち言【ゅ】うて、来る日も来るも、

葡萄畑をガッカンショして、打ち返すちゅうもん。

もう広かもんじゃい、少々打っても耕えしてしまわんどん、

なかなか千両箱の壷の何処【どけ】ぇじゃいあっばい、

と思うて、一生懸命深【ふこ】う打つけどいっちょん、それ行き当たらん。

もう三年もそこば打って打ちまくいどん、

とうとう打ってしもうたばってん、何も甕【かめ】いっちょも出てこんじゃった。

そいぎぃ、

三人の息子はやっと悟ったて。

もう耕して土は軟らかくなって葡萄は恐ろしか青々と盛えて実もいっぱい生って、

「このお父さんの遺言は、

『あの葡萄畑を良う耕してくいろ』て言うことじゃったとばい」

言うて、そいからも三人の息子さん達ゃ、

もう仲良くセッセセッセと暇しゃあがあっぎ葡萄畑に行たて耕しよったて、

いうことです。

そいばあっきゃ。

[一四六  本格昔話その他]

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P420)

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