嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしも、

明治時代も大正時代も昭和時代も同しことじゃったねぇ。

年寄【としよ】りなっぎぃ、誰【だい】でん、

ああ、大切にはすっばってん【スルケレドモ】、

やっぱい年寄【としお】いは何もならんとが年寄いでしょうねぇ。

そいぎぃ、むかーしむかし。

もう、奇妙な広告が出たっちゅう。

そいば見てみっぎねぇ、

「親を売ります」て、書【き】ゃあてあったて。

そうしてねぇ、

住所もチャーンと書ゃあてあったてよう。

そいぎぃ、

ある若夫婦が、その奇妙な広告を見て、

「『親を売ります』ち言【ゅ】うぎぃ、よくよくのことよねぇ、

私は、小さい時に両親も死に、親の味も知らん」

て、お嫁さんが言うたら、お聟さんも、

「私【わし】もねぇ、小さい時から親に添うとらん。親の味も知らんけん、

ほんにお前【まい】と同【おな】しこったい」て。

「そいぎぃ、あの、私どんが買おうかあ。お金は、『二百円』て、書いちゃった」て。

「奇妙な広告も出たんじゃったねぇ。私達は親の縁の薄かったけん、

そぎゃん年寄いの方ないば、私どんがあの、買おうかあ」

て言うて、お二人話が一緒になったて。

そうして、

「そいぎぃ、人の早【はよ】う買いんさらんうち、早う二百円用意して行こう」

ち言【ゅ】うて、行きんさったて。

そして、地図ばよく見てそこへ行きんさったところが、

恐ろしか門構えのある立派な家【うち】じゃったて。

「間違いなかごたんねぇ。ここねぇー」て言うて、

「ごめんください」

て、言うたら、ニコーニコして、中から優しそうなお爺さんと、

優しそうなお婆さんが出て来【き】んしゃったて。

そいぎぃ、

「私達は、あの『お年寄りを売ります』て、いう今日の広告を見て

買おうと思うて、二百円お金をここに用意して参りました」

て、言んしゃったて。

そいぎぃ、

その家の人は、

「『年寄りを売ります』て言うのは、私どもですよ」て。

「お爺さんは七十三、お婆さんは六十八にもなっです」て。

「良かですかあ」て、言んしゃったぎぃ、

「ああ。私どまは小さい時に両親を亡くした者【もん】ばっかいですから、

ほんにお引き受けいたします」て、言んしゃったて。

「そうですか。ほんにこんな年寄い、お金まで

あなた方用意して来てくださったんですか。

私【あたい】どん、この家屋敷はあるし、まあーだ貸家も何軒でんあります。

他にも土地も広く持っております」て。

「みんな私どもを買ってくださった方に差し上げます」

て言うて、その、説明ばしんしゃったて。

そいぎぃ、

ご夫婦の若い方は、

「ほんにねぇ、こんな幸せなことは有難い。

こんないいお爺さん、お婆さんに巡り会えて良かったあ」

て言うて、早速親子の縁組をして、

そして、喜ばれたということです。

奇妙な広告もあったもんじゃったけど、

やはり若い夫婦と、そのお年寄りには、いちばんふさわしい組み合わせじゃったそうです。

そいばあっかいです。

[一四〇  本格昔話その他]

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P412)

標準語版 TOPへ