嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしは。

もう石炭が盛んに、この辺の肥前の辺(にき)は

大きな炭坑があったもんね。そいぎもう、

炭坑に石炭ば掘いぎゃ行く時ゃあもう、

帰って来っ時ゃ真っ黒けに、

顔でん何処(どこ)でん汚れて、

そいどん坑口(こうぐち)さん下んしゃ時ゃ、

全部(しっきゃ)あ家(うち)ん者(もん)な、

子供も学校に行かんもんども、

おっ母(か)さんや婆ちゃんやら連れて、

「沿道無事に行って来るごと」ち、

そうて坑夫さん達も真っ先、

神さんに参(みゃ)ーあって、

そうして下(くだ)いおんしゃった。

「ああ、無事に今日一日過ごすように」

ち言(ゅ)うて。

そうして毎日あって、ここにねぇ、

仲のいい夫婦がおんしゃったちゅう。

あん人達ゃ何(なん)てじゃあ本当じゃ

争いおんさったとば聞いたことなかばあーいて、

皆が言うごと仲良しやった。ところがね、

ある晩嫁さんがねぇ、

「あんさん、私(わたし)ゃ昨晩(ゆうべ)は夢見たあ」

「夢見たてやあ」て言うて、

「さあ今日(きゅう)はもうこいから、

ちぃっと朝寝したけん早(はよ)う出かきゅう」て、

言うたら、

「あんさんねぇ、今日は無事帰って来てよ。

ほんに、あんさんが昨晩(ゆうべ)は、

炭坑の崩れて生き埋めになって、

死んだ夢ば見て私(わたし)ゃ今の起きんまで

泣きおったとよう」て言うて、

「そうか。そりゃあ、悪か夢ば見たない」

「今日(きゅう)はそいで特に気をつけてください」

て言うて、朝送り出しんさったて。

そうしたところがねぇ、昼過ぎになったぎね、

「お宅の檀那は死んだ」て言うて、

使(つき)ゃあの来たて。

そいぎ色は青うなって、ほんなこて家(うち)の

檀那やろうか、と思うて行たぎぃ、

担架に乗せられて、

トロッコから運ばれて来た死人ば見たぎぃ、

もうまさしくあの世の人やった。

そいぎぃ、お葬式どん皆さんから

立派にしてもろうて、

初七日(はつなんか)の前やった。

もう休みようようして泣き暮らしとったぎぃ、

昨晩(ゆうべ)はもう七日(なんか)も過ぎたから、

と思って、その夜(よ)さいはグッスイ眠ったぎぃ、

生きとうままの姿で、

「おーい、起きんか。帰って来たとけぇ、起きれぇ」

て言うて、起こしんしゃった。そいで目覚めたぎぃ、

「お前(まい)の夢ば話したけん、俺(おり)ゃあ死んだ。

夢は話すことなんて言うとっとけ、

なし話(はに)ゃあたかーて言いよった。

目ばまーって自分ば睨(ねら)みつけて、ああ、

ゾーッてしたあ、と思うて、目覚ましたら、

そいは夢じゃった。

そいぎぃ、ああー、やっぱいかねて夫は、

「夢は話すことななあーん、話すなよう」て、

言いよった。良(ゆ)う守りゃ良かったなあー、

と思うて、後悔したけど、

本当(ほんと)に仏さんになって死んどらす。

もう仏さんに詣(みゃ)あらんばしょんなか

(仕方ガナイ)て、

孫子の末まで夢は話すこんなんていうことば、

遺言とせんばねぇて、このおっ母(か)さんは、

ほんに心から思って、

死んだ聟さんにお詣りしおったてよ。

そいばあっきゃ。

[八九  本格昔話その他]

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P363)

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