嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 今も絵馬ちゅうてあるもんねぇ。

昔からあったとよ。

でも、その絵馬の始まいをいたします。

むかーしむかしねぇ。

殿さんの城下で、殿さんの住もうとんさっ城下で、

若様が病気しんしゃったて。さあ、医者よ、お薬よ、

お呪(まじな)いよって、どがん手当て、

どぎゃん高価なお薬を飲せまんしゃっても、

いっちょん良か方にはなんさらんじゃもん。

熱も下がらんし、ご飯も喉(のど)をとおらん、

水もとおらん。もう死んばっかいのごとして、皆、

世話しおんしゃった。そいぎぃ、爺やさん達が、

寄い集まって、

「どがんすっぎ良かろうかあ」て言うて、

言いおったぎぃ、ある知恵者が、あの、

板の切れに元気の良か馬の絵ば描(き)ゃあて。

そうして、お願ば掛けて、

病気の治るもんがあるそう、と言うことで、早速、

「お願ば掛けたこんなどがんやろうかあ」て、

言んしゃったて。

「そうねぇ。そりゃ、めっちゃなかことないどん、

ほんにそがんないとんしてみんぎぃ、

心の治らんねぇ」て、皆が言うて、賛成したて。

そうして、小(こま)ーか板切れに

恐ーろしか元気の良か馬の絵ば描(か)いて、

お宮さんに持って行って、

四、五人のその爺やさん達が熱心にお宮さんに

ご祈願を申し上げたて。そいぎねぇ、三日目には、

ヒョロッて熱の下(さが)んさったて。

「あらー、馬ば描ゃあてご願ば立てたぎぃ、

あの馬が薬(くすい)、

病気ば蹴ちらきゃあてくいたぱいねぇ。

良かったにゃあ」ち言(ゅ)うて、

もう喜びに皆沸き立ったて。

ところがばいねぇ、城下の田圃が、

その馬の絵ば描ゃあてやんしゃってから

先ちゅうもんな、夜のうちにもう恐ーろしか

踏み荒らされて、恐ーろしかもう、

踏んで踏んちらさかれて、

ざまなかごとしとった

(目モ当テラレンヨウニシテイタ)ちゅうもん。

「あらっ、お前(まい)所(とこ)も荒されたてやあ。

お前所もやあ」て、言うごと困ったこっちゃった。

そいぎぃ、

「誰(だれ)、ぎゃんことばしおろうかあ。

人間技(わざ)じゃなかろうごたっねぇ」て言うて、

若(わっ)か者達ば呼び寄せて、

「お前(まい)達ゃ寝ずの番ばしてんさい」て言うて、

番させんしゃったて。

そいぎ夜(よ)のよいして(夜通シ)、

「眠(ねふ)たかぎ交替の者な、

次の者(もん)が起きんまで必ず目は

開けときやいのう」て言うて、番しとったいどん、

一晩ななしぃでん眠とうしてたまらじもう、

見張りに立っとっ者どんが、

良う眠ってしもうたって。

そうして、また荒らされとったて、田圃ば。

恐ろしか蹴ちらかされとったて。そいぎぃ、

「ああ、しもうた。申しわけのないことをした。

まあ一晩、寝ずの番ばしゅう」ち言(ゅ)うて、

番をしとんさったてぇ。

そいぎねぇ、になっぎぃあ、お宮の方から、

パッカパッカ、パッカパッカ、パッカパッカて、

勢い良か小(こま)ーか

若駒の走って来(く)ってじゃもん。そうしてもう、

「田圃の真ん中に来(く)っぎぃ、

ムシャムシャムシャ、サクサク、サクサクて、

食べおっかと思うぎもう背中をハーッて横になって

寝たいしてももう、蹴ちらかすどこじゃなか、

踏み倒したり寝転うでみたいしおる。

あらー板切れに描かれとる馬の抜け出して来て、

田圃ば荒しおっとたい」て、

見張りの若者達はビックイしたて。

そうして夜の明けたぎぃ、村の役人さん達に、

「お宮に上げと絵馬の飛び出して来て、

田圃ば荒しおったとばい」と、言うもんだから、

見ぎゃ行って見ると、

もう立派に納まっとるちゅうもんねぇ。

ところが、この馬の絵の本物のこと

描けとっけれども、首輪とか綱とかは

一本も描けてなかった裸馬じゃったて。

「こぎゃん裸馬ば上げとっから抜け出るっくさい。

こりゃ裸馬じゃっけん、

綱ばしっかいつけんぱ良(ゆ)うなか」ち言(ゅ)うて、

そいから先は丈夫か紅白の綱ぱ、

馬の首の回りにシッカイつけて、

その次の日から上げんさったて。そいぎもう、

パターッと、その馬は来(こ)んごとなったて。

「こいを絵馬ちゅうて、何(なーん)も外さいは

出んごと、絵に描いた馬ていうことにしよう」

ち言(ゅ)うて、

こいが絵馬の始まりにそいからなったとよ。

そいからは

絶対に絵から抜け出さじぃ荒されんじゃったて。

そればあっかいです。

[七四  本格昔話その他] (出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P352)

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