嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかし。

心の優しかねぇ、夫婦者(もん)がおったちゅう。

そうして、ある日、山の畑に行たぎねぇ、

子猿のさ、ウロウロしおったてじゃんもん。

そいぎぃ、

この百姓さん達ゃあ、この子猿にも持って来た麦のお握りどんやって、

「さあ、まんまくれるよう。来い、来い」ち言(ゆ)うて、言うぎぃ、

ペコーンて、側に来ってじゃんもんねぇ。

そうして、一日中、畑を打って、

「まあ、帰ろうかなあ」て、すっぎぃ、

その子猿がヒョコヒョコついて来(く)って。

そいぎぃ、おっ母(か)さんも優しか人じゃった者(もん)じゃい、

自分の子供のようにその子猿を可愛いがいよんさったぎぃ、

だんだん、だんだん、その子猿も大きくなったてぇ。

そうして、その子猿も利口物じゃったてじゃんもんねぇ。

そうして、百姓の手伝いもすっしぃ、

「鍬(くわ)ば持って来い」ち言(ゅ)うぎぃ、担いで持って来たい、

草も引っ張り時にゃ取ったいしおったて。

「こりゃあ、怠け者よいよっぽど役に立つ」て言うて、

その百姓さん夫婦は楽しゅんで、子猿を育てよったて。

ある日ねぇ、山に草刈りに行った時、

そいで、

もう少し草を刈りたいがなあと、百姓は思ったから、

「猿や、お前(まい)。馬を引いて家(うち)まで先に帰っとってくれよう」

て、言うたらさ、お猿ちゃんがさ、家まで馬ば連れて帰ったてぇ。

そぎゃんも、そうした上、チャーアンと馬小屋に入れて、

刈り草までも軒下から持って来て食べさせとったて。

そいぎぃ、

「ほんに、人間よいかましねぇ」ち言(ゅ)うて、

このお百姓さん達ゃ、嫁さんと二人(ふちゃい)連れ大笑いして

喜んだちゅうもんねぇ。

そうして、草鞋ば石にトントーンと、叩(たち)ゃあて、

泥ば落とすぎぃ、ちょうどそのように猿も真似てすんもんじゃい、

「余計(よんにゅう)おかしか、良(ゆ)う猿真似て、知っとんねぇ」

ち言(ゅ)うて、夫婦者な恐ろしかそのお猿と、

キャッキャッ、キャッキャッ言うて、仲良く暮らしおったて。

そうしたら、春になったら

天上裏に鼠の恐ろしか暴れっちゅうもんねぇ。

そいぎぃ、

あの百姓夫婦は猿公に、

「お前(まり)ゃさ、昼間は寝とって良かけん、

夜は鼠の番ばしてくれんねぇ」て、頼んだちゅうもんねぇ。

そいぎぃ、ほんなこて鼠の番ば真面目にしてくいて、

本当にその百姓さん夫婦と暮らしたけれど、

ほーんに百姓夫婦は助かったて。

ところがねぇ、ある寒い冬の日に、とうとうその猿は死んでしもうたて。

そいぎぃ、この百姓さん達ゃねぇ、

「ほんにちぃ(接頭語的な用法、ツイ)死んだねぇ」ち言(ゅ)うて、

人間の死んだごーと立派にお葬式をして、

「家(うち)の役に立ってくれたもん」て言うて、小さなお墓も建てて、

お弔いまでしてやんさったてよ。

そいばあっきゃ。

[五八  本格昔話その他]

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P336)

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