嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

兄と弟と暮らしておりました。

兄の方は大変お金持ちで裕福でしたが、子供がひとりもおりません。

弟の方は子供が七人もおるのに、もう貧乏も貧乏、本当の貧乏でした。

だからしょっちゅう、

「兄さん、食べ物をくれ。食べ物をくれ」て、

とにかく子供達に食べさせるのに、弟は精一杯でした。

ところが

兄が言うことにゃ、

「何時(いつ)の日にか、お前達は食べ物ばっかいただやって、

もう養いきらん。

もうこれから、食べ物やらないからなあ」て、断わられました。

そうしたら、

弟はションボリして、

ほんに七人の私の子供達がお腹を空かして泣いている。

トボトボと兄の家(うち)から帰っていたて。

そうすると途中でね、

年取ったお爺さんに会いました。

お爺さんは、

「若い者のくせに、

何(なん)でそんなに悲しい顔ばして歩いているのかあ」て、

そのお爺さんは聞きました。

すると弟が言うには、

「私は子沢山で、七人も子供がおります。

そうして、夕方、今頃、帰ると皆がお腹を空かして、

『ひもじい。ひもじい』て、泣いているかと思うと、

本当に心配で、どうしたらいいかわからないです」と、訴えました。

すると、

お爺さんは、

「私が助けてやろう」て言って、一時(いっとき)したら、

「ムニャムニャ、ムニャムニャ」て言って、

大きな、真っ白なテーブル掛けをサーッて目の前に出しました。

「あなたは不思議ですねぇ。魔法使いのようですね」て言ったら、

その老人はニヤニヤ笑って、

「これに、お前さんは何でも頼めばいいよ。

このテーブル掛けが、お前さんの願いを適(かな)えてやるから、

これを上げる」て言うて、向こうへトットと行ってしまいました。

そうして、いい物貰ったと思って喜んで、

弟、家に帰ったら案の定、七人の子供達は、

「ワイワイ」言って、皆、

「メソメソ、メソメソ。ひもじい、ひもじい」ち言(ゅ)うて、

泣いていました。

すると、あの、弟は

目に前のテ-ブルクロスの白いのをパーッと広げて、

「皆、この回りに、お座りなさい」て言うたら、

皆がテーブル掛けの前、周りを囲んでお座りしたんです。

そうして、その時、

弟は、

「食べ物が欲しい。夕飯を出しておくれ」て言うたら、

本当に本当、目の前にご馳走が湯気が立って、

七人前、みんな揃って出てきたて。

こうしてねぇ、弟はそいからも、テーブル掛けには、

その子供達の食べ物ばっかりを出していたんです。

それを聞いた兄さんは、

「弟に用事があるからお出で」て言うて、使いをやった。

弟が行ってみたら、

「お前、いい物を持っているそうじゃないか。

何時(いつ)でもご馳走ができるテ-ブル掛けがあるそうじゃないか。

それを一時(いっとき)でいいから、私(わし)に貸してくれ」と、

言いました。

兄さんに今までお世話になったから、貸さないていうわけいかず、

「どうぞ」て言うて、「兄さん。じき返してください」て言うて、

テーブル掛けを貸したけれども、

三日経っても、四日経っても、十日たっても、

幾ら催促をしても返しません。

子供達はまた、

「ひもじい。ひもじい」ち、もう、

「ワンワン、ワンワン」泣いて、困るんです。

「本当に、毎日の食べ物がなくちゃ困るねぇ」て、言ったら、

もう本当に十日も食べんでいる。本当に死んでしまうよ」て、

どうしたらいいものか、と思案なびくいて、

道をトボトボ歩いていたら、

またこの間のお爺さんに会いました。そのお爺さんが、

「また、暗い顔して心配そうだねぇ。

お前(まい)さんがテーブル掛けを兄さんから占領されたことを

私(わし)ゃ知っているよ。

今度はねぇ、山羊をお前さんに上げよう。

こ山羊はね、乳を搾(しぼ)りなさい。

でも乳は出んよう。

これから、乳の代わりに乳を搾ったら、

乳の代わりには金貨が出てくるから、本当にこれは助かるよ。

この山羊を上げるから」て言って、また、

「ムニャムニャムニャ、ムニャムニャムニャ」と言って、

すぐ目の前に可愛い山羊が出てきました。

そうすっと、そいから先は、この弟は、乳の代わり金貨を搾っては与え、

搾っては与えして、金貨で食べ物を買って、

子供達に何時(いつ)でもお腹を満腹させることができたちゅう。

仕舞いにはお金持ちになりました。

そうすると、またこれを知った兄さんはね、

「あの山羊を貸してくれ」て、言うて来たから、弟が、

「また、山羊を取り上げて、兄さんは返さないでしょう」て。

「馬鹿をいえ。今度はじき返すぞ」と言ったら。

そうして二人で言いあっしている時に、

こないだ会(お)うたお爺さんが、ヒョッと目の前に現われて、

兄さんの首を絞めたんですよ。

兄さんは、

「息ができない。苦しい。苦しい。もう山羊は借りないから、

堪忍してください。

私が悪かった。

もう、弟から何も借りません。堪忍してください」ち言(ゅ)うたら、

この爺さんが手を放したから、

兄さんは死なないで良かったわけ。

けれども、

それから先というものは、山羊一匹を持って行たために、

弟はズッと金持ちで暮らして、

子供達も立派(じっぱ)に育ったということです。

そいばっきゃ。

[四九  本格昔話その他]

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P326)

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