嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

木の天辺(てっぺん)にさ、親子の鼠がねぇ、

虫干ししよらしたちゅう。

そけぇ鳶(とび)が飛んで来たてじゃっもんねぇ。

そうして、小(こま)ーか子鼠ばね、

攫(さら)って飛んで行ってしもうたてぇ。

そうして、長(なご)う飛んで行たぎ奈良の大仏さんの屋根のあったちゅうもん。

そこで、上に鳶が止まったてぇ。

とうとう疲れとったもんじゃい、

鳶が一休みしたぎぃ、鼠は今のようにと思って、

鳶から逃(のが)れて逃(に)ぎゅうで思うて、

足音立てんごとチョロチョロって、逃げ出(じ)ゃあてさ、

子鼠は縁の下(した)さい逃げたて。

そいぎぃ、良(ゆ)うこうして見よったぎぃ、

縁の下に爺さんの一(ひと)人(い)おっちゅうもん。

そいぎぃ、鼠の爺さんにねぇ、

「爺さん、お前(まり)ゃ何処(どこ)ん者(もん)かあ」て、聞いたぎぃ、

「俺(おり)ゃあ、俺は薩摩ていう国の者だよう」て、

その爺さんが言うたてぇ。そいぎ鼠が、

「ちょうど良かったあ。俺(おれ)も薩摩ていう所の者よう。

そいぎぃ、一緒に故郷さん帰ろーう」て。

「家(うち)さい帰りたいなあ」て、

言うことになって、じき話がまとまったて。

この爺さんは、実はねぇ、

もう奈良ちゅう所まで見物しに来とって、

銭(ぜん)が一銭でんなかごと使(つこ)うてしもうてさ。

そうして、そこの大仏さんの床下に寝泊まいしおんしゃったと。

そいぎねぇ、爺さんなその鼠に一銭もなかごとなったけん、

ぎゃん大仏さんの下(しち)ゃあかごうどっ。

家(うち)さい帰(かえ)えん(帰レナイ)。

お前(まい)と一緒帰とうはあっとないとん、帰られん」て、言うたぎね、子鼠が、

「『一銭』て、銭(ぜん)ぐりゃあ夜(よ)さいになっぎ私(わし)が集めて来(く)っけん、

まかしときんさーい」ち言(ゅ)うたて。

そうして、その晩から子鼠は忙しゅうなったちゅう。

人が寝静まいよっ時、夜中に宿屋の銭箱ば開けて銭ば盗(と)って来たい。

そういうふうなことしたもんじゃい、

じき旅費ぐりゃあできたちゅうもん。

「そいぎさい、こんくりゃあ銭のあっぎよかろう」ち言(ゅ)うて、

「早(はよ)う、一緒に帰ろうやあ」て、

鼠は爺さんの背中さんピョーンと乗って、

そうして帰おったて。

ところがさ、道中に猫のおったちゅうもん。

「猫のおっ宿屋には泊まらん」て、

決めておったいどんねぇ、猫のおる所のあってさ、

宿屋にお金ばちぃった足らんけん、と思うて、

鼠が盗(と)ろうで行きおったぎぃ、猫に見つかっさ、

もう追っかけらいて首ば噛み切られたてぇ。

そうして、血をダラダラして爺さん所さい帰って来て、鼠は、

「私(あたい)の首の傷は酷かけん、とても命は助からん」て。

「俺(おい)が死んぎぃ、故郷の薩摩の木下(しち)ゃあ行くぎぃ、

親達の、鼠のおっけん、

『私の死体ば埋めてくれ』て言うて、持って行たてくいろう」て言うて、

鼠が頼んだて。あいどん、爺さんの言わすには、

「もう、一日半もすっぎぃ、

故郷の薩摩ちゅう所(とけ)ぇ着くけん、元気を出せ」て。

「じき、木の所に行くぞ」て言うて、元気ばつけたいどん、

とうとうそこで子鼠はちぃ死んだて。

そいぎぃ、爺さあんな薩摩の木の下ゃあじき、

我が家(え)は着かんうち行たて、子鼠を渡したぎぃ、

おっ母(か)さん鼠は恐ろしゅう鳴いて悲しんだて。

そうして、真っ赤着物(きもん)ば持って来てねぇ、

「これは、あの、鼠の私(あたい)どんが宝です」て。

「子鼠が、あんさんに大変お世話になったお礼に、

こいを差し上げます。こいば着てねぇ、

望みの物(もん)ば言うぎぃ、何(なん)でん出てくっとよう」て言うて、

鼠が真っ赤かとばくいたて。

そいぎぃ、爺さんなその赤(あっ)か着物ば、

鼠の宝物ば貰うて家(うち)さい帰んさいたちゅう。

そうして婆さんに、

「奈良さい行たて、帰ったよう」て言うて、

帰って来たちゅう。そいぎぃ、婆さんなねぇ、

その赤(あっ)か着物ば見てねぇ、焼き餅焼あて、

「いっちょん、お前(まい)さんは帰って来んて思うとったぎぃ、

ぎゃん他所(よそ)の女(おなご)ば嬶にしとったとばい」て言うて、

赤か着物ばパリパリやって、爺さんの目の前で、

もう赤か着物の形もなかごとひいしゃあでしみゃいんしゃったて

(形モナイヨウニ破ッテシマッタト)。

そいぎぃ、とうとう何(なん)いっちょでん

願いは適(かな)えられんじゃったちゅう。

そいばあっきゃ。

〔三六  本格昔話その他〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P307)

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