嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

とても貧乏な家(うち)に、

お母さんと娘さんと暮らしておったてぇ。

お母さんは、お父さんが亡くなってからは

体が弱くなってねぇ、

病気ばあっかいしよんさったちゅうもん。

そいどん、その一(ひと)人(い)娘さんな、

恐ーろしかそこん辺(たい)いっぱいで

小町娘ていわるっごと器量の良か娘さんやったってぇ。

そいぎぃ、長者さん方が、

もう我が家(え)の息子の嫁さんにしとうてたまらじぃ。

息子もまた、その娘さんば好いとったちゅうもん。

そいどん、

「お母さんのおんさっけん、

病身のお母さんがいっちぇては嫁に行かん、

嫁には行かん」ち言(ゅ)うて、

良か返事はしおらんやったてぇ。

そいどん、お母さんの病気はだんだん酷うなって、

とうとうお母さんな死にんしゃったちゅうもんねぇ。

そいぎぃ、

「お母さんも死にんさったもん、

家(うち)の息子の嫁になれー、なれー」て言うて、

長者さんの言んしゃったて。

「お前ん所(とこ)に貸しとっ

田圃も取り上ぐっぞうー」て言うて、

驚かしんしゃったいどん、

「お母さんの仏さんのおんしゃっ(オラレル)。

お父さんの仏さんもおんしゃっけん、

私は、お嫁に行かーん」て言うて、

その娘さんな自分の家におんしゃったて。

働きおんしゃったてやんもんねぇ

。そのうちに、だんだん年貢やっとも、

だんだんかさばってもう、

借金、負うようになっとんしゃったて。

そいぎぃ、長者さんが、

この娘さんに難題を持ちかけたて。

「日の暮るんまでに家の一町の田ば、

お前(まい)一(ひと)人(い)で田ば植えてしまわんないば、

家の息子の嫁になれ。

そうして、

年貢米の代わりにお前の田は

全部(しっきゃ)あ取り上ぐっ」てまで、

言うたて。

そいぎぃ、娘さんな困ったことを言われたねぇ、

あいどん、そぎゃん言われたない、

あの一町の田を植えてみゅうで思うて、

朝も夜の明けんうちから

行たて植え始めんしゃったて。

ところがもう、

三分の一ばっかい植えたごとなった時、

もう日は西ん方さい傾(かたぶ)いたちうもん。

ああ、お天道さんのまいっとき待ってくるぎ良かいどん、

もう日の暮れかかったあ、と思うて、

急いで植えおんしゃったぎぃ、

フッと後ろん方ば見んしゃったぎぃ、

誰(だい)じゃいドンドン、

ドンドン田ば植えてくいよっ者のあって、

青々とした田圃じゃったて。

後ろん方のすんどったてぇ。

そうして、日の入(ひ)ゃあ時分になったぎと、

とうとう田植えてその人は、

見事に田植えて仕舞いんしゃったちゅうもんねぇ。

そいぎぃ、長者さんな、

「こりゃあ、どうしたもんかい。

ちぃ植えてしもうたあ」て言うて、

ビイックイしんしゃったて。

あとからお家(うち)に帰って考えてみおんしゃったぎぃ、

あとの半分以上植えんしゃったとは、

あや、お母さんが死にんしゃったいどん、

加勢に来て終わったと、て思うて、

懇ろに仏さんに詣(みや)あしゃったてばい。

そいばあっきゃ。

〔一二  本格昔話その他〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P275)

標準語版 TOPへ