嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)
むかーしむかし。
一【ひ】人【とい】の薬屋さんが、
登りが三里、下りが三里という恐ーろしか長い峠を行きよんさったてぇ。
そしてもう、日が暮れかかったちゅうもんねぇ。
そいぎぃ、もうあせがって【ジレッタク思ッテ】峠に来【き】んさったて。
そいぎぃ、谷の方ば見っぎんとにゃ、
猿が苦しそうな鳴き声がしおったちゅうもんねぇ。
あらあー、猿の鳴き声がしおっぞう、と思うて、
何【なん】したとじゃろうかにゃあ、と思うて、
薬屋さんは声のすっ谷の方に行たてみんさったぎぃ、
谷でお猿さんが、お産に苦しんどったちゅう。
そいぎ薬屋さんは、
「ほら、この薬【くすい】ば飲むぎぃ、お産が軽うでくっよう」て言うて、
谷川の水も我が汲んで来て、お猿さんに飲ませんさったぎぃ、
そいぎぃ、じき子猿が産まれたちゅうもんねぇ。
そいで、薬屋さんが行こうですっぎぃ、
お猿は薬屋さんの袖ば引っ張っちゅうもん。
そして、袂【たもと】に何【なん】じゃいコロッと、
入れたごとあって。薬屋さんは長【なん】か峠をまた行かんばらんけん、
と思うて、おろちいて先ば急ぐから、と思って、
出かけたいどん、もう辺【あた】りはじき暗うなったて。
そいぎぃ、峠は高【たっ】かけん、そこの方から前ん方ば見たぎぃ、
灯いのちいとっ家のあったちゅうもんねぇ。
そいぎぃ、その家に泊まろうなあ、と思うて、戸を開けて、
「こんばんは。今晩一晩泊めてくださーい」ち言【ゅ】うて、
声ばかくっぎぃ、中から年寄【としお】いが出て来て、
「どうぞ、どうぞ」て、言うてくれた。
そして、泊まっとったぎぃ、真夜中に大きか蛇が枕元から首ば、
ヒョロッ、山ん中じゃんもんじゃい出て来て、薬屋さんはもう、
恐ろしゅうてチョッともう、わなわら震【ふり】ぃしおって、
何【なん】か、チョッと何か投げつけてやろう、と思っても、
手探いしていたら、手にヌルッて、触れた物【もん】があったて。
そいぎぃ、夢中でそいばひっ【接頭語的な用法】つかんで蛇に投げつけんさったちゅうもんねぇ。
そいぎぃ、夜が明けて見てみたぎぃ、峠の露草ん中に、
その蛇が溶けて死んどったて。そいぎぃ、薬屋さんが手にしたとは、
蛞蝓【なめくじ】じゃったて。お猿は、
お産の手伝いをしてくれたもんだけん、
そのお礼に、夜中には蛇が出る、必ず出【ず】っばい、
暗闇では蛇が出て来【く】っばいて、いうことば知っとったもんじゃから、
「お礼に蛞蝓を袂に入れてくいた、お陰助かったあ」て言うて、
無事に長い峠を下ることができたということです。
そいばあっきゃ。
〔二三三 猿報恩【AT一六〇】【類話】〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る 843話 P217)