嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーし。

ある村にね、男の子と女の子と、

まあーだその子供達ゃ三つと五つじゃったとこれぇ、

二【ふ】人【たい】ば残してお母さんは、ちい死にんしゃったてぇ。

その後に継母さんが来んしゃったてじゃんもんねぇ。

そいどん、この継母さんは、恐ろしか意地悪かったてぇ。

そしてもう、しよっちゅうこの子どんさいおらんぎ良かいどんにゃあ、

ほんに邪魔になっ、て思うとんしゃったてぇ。

そういう時に、お父さんがねぇ、

お江戸さい用事で出かけんばごとなんしゃったてぇ。

そいぎぃ、

「お父さん、行ってらっしゃい」て、言うてねぇ。

継母さんはお父さんの留守にさ、そうして、

男ん子にはさ、擂粉木【すりこぎ】ばやって、

「こいで山の焚物【たきもん】ば取って来い」て、言んしゃったて。

そうして、女の子にはねぇ、笊【ざる】どん持たしてやってさ、

桶ば担いでやって、

「これぇいっぴゃあ水ば汲んで来い」て言うて、

難題ば持ちかけんしゃったてぇ。

そいぎぃ、男の子は擂粉木で木は切らるっとじゃろうかあ、と思うて、

そいでもお母さんの言いつけやっけん、言うこと聞かんばやっけん、

擂粉木ば持って行たて、大きな木にコッツンコッツンてしとったら、

一【ひ】人【とい】のお爺さんが通りかかって、

「お前【まや】、何【なん】しとっかあ」て、言んしゃったぎぃ、

「『この木を切って来い』て、お母さんから言われたけん、

擂粉木でもって切いよります」て、言うたら、お爺さんは、

「なんて馬鹿な。そんな物【もん】で木が切れるもんかあ」

ち言【ゅ】うて、自分の腰から鉈【なた】を取り出して、

「ほら、これで切りなさい」て言うて、貸してくんしゃったて。

そいぎねぇ、楽にその木を切り倒すことができたて。

そして、いっぱい薪【たきぎ】を取って家【うち】帰ったて。

一方、妹の女の子はねぇ、笊で水ば桶に汲もうでするけど、

ザーッて、水が零【こぼ】れ水を汲んで持ち上げるとザーッて、

零れて水が溜らんちゅうもん。

ほんにもう、泣きたい思いでションボリしとったぎぃ、

一【ひ】人【とい】のお婆【ばあ】さんがねぇ、そこに通りかかってねぇ、

「お前【まり】ゃ、そこで何【なん】しとるかやあ」て、

聞きんしゃったて。

そいぎぃ、その娘はねぇ、

「おっ母さんからさ、『この笊でこの桶いっぴゃあ水ば汲んで来い』

て、言われたから、桶に水を汲みよっとですよう」て、言うたて。

そいぎぃ、お婆さんはねぇ、

「そんな笊で桶に水汲んで、何日かかるかわかるもんかい。

水汲みは、いっぱいにとてもならん。大事【おおごと】だよ」

て、言うてね、

「その笊にねぇ、蕗【ふき】の葉の太かとば取って来【き】なさい。

その蕗の葉を笊に敷【ひ】いて、そうして水を汲んでごらん。

わけなく汲めるよう」ち言【ゅ】うて、教えて立ち去って行ったて。

「お婆さん。有難う、有難う」て、お礼ば言ってねぇ、

蕗の葉ば見つけて来て、何枚でん敷【し】いて水を汲んだら、

わけなく桶いっぱいなったてぇ。

そいぎぃ、妹も家【うち】さい帰ったて。

継母はねぇ、ほんに、もう帰って来たあ。水ども汲んで来たろうかあ、

と思うて、見よったぎぃ、水どまいっぱい汲んどっ。

薪どまいっぱい持って来たろいかあ、と思うたら、

薪もいっぱい取って来とって。

そうして、

「お父ちゃん、早く帰ってぇ。父恋しや、父恋しや」ち言【ゅ】うて、

二【ふ】人【たい】手を取って、夜はやすんだて。

そいぎぃ、明くる日になったぎね、

こいどまもう、いっちょ死んもようじゃなかあ。

生きとっうち親父さんが帰って来【き】たこんな困ったもんじゃあ、

と思うてね、大きな釜に湯ばいっぱいクラクラ煮たてて、

そうして、一本の棒ば大釜に渡して、

「この上を二人【ふたい】で渡れ。

背伸びして、こうして見ぎね、父【とう】ちゃんが良【ゆ】う見ゆっよう。

お前達ゃ、『父ちゃん恋しい。父ちゃん、早【はよ】う来い』

て、言いよろうがあ。背伸びして渡ってみてご覧」て言うて、

釜の煮たった上に棒ば置きんしゃったて。

そいぎねぇ、二人の幼い子供はそれを本気に受けて、

そうして大釜のその棒の上に立ったてぇ。

ところが、

真ん中からポキーッと折れて、

二人とも大釜の中【なき】ゃあ」入【はい】って死んでしもうたて。

継母は、

「ああ、これでよしよし」ち言うて、

死んだ二人を裏の竹藪【やぶ】の中に埋めといたて。

そうしおったぎぃ、三日とたたんうち、江戸から用事がすんで、

お父さんが帰って来たて。

そうして、

男の子には刀を買【こ】うて、女の子にはキンキラキンン帯を

みやげに買【か】って帰って来【き】んしゃったて。

早う、これをやって喜ばせようと思うて、継母に、

「子供達はおらんが、どうしたかあ」て、聞いたら、

「ああ、今ねぇ、二人とめ親類の家【うち】さい泊まりに行って、

まあーだ帰って来【こ】んとよう」て、もう大嘘をついておったて。

とこらがねぇ、

お父さんは久しぶりに我が家【え】に帰って、

家【うち】の周りも、まあグルグル、グルグル

懐かしそうに変わったことないなあ、と思うて、回っとったらねぇ、

裏は竹藪じゃったてぇ。

そいで、

竹藪の中に行ったら、土がこんもりと盛り上がっとっちゅうもんねぇ。

ああ、こりゃあ新しゅう、家内が何【なん】ば埋めとろうかにゃあ、

と思うて、掘り返してみたら、どうしてもう、

二人の自分の子供が折り重なって、そこに埋められとったてぇ。

お父さんはビックイして、悲しんで家【うち】に走り込んで、

「こりゃあ、どういうことかあ」て言うて、

おっ母が殺したに違【ちぎ】ゃあない、と思うて、

「お前は、即座に暇を出す」ち言【ゅ】うて、

家を追い出んしゃったて。

そうして、お父さんは世の無常をねぇ、はかなんでさ、

その竹藪から竹を切って尺八を作って、虚無僧姿になって、

二人の供養に諸国をズウッと回んしゃったて。

そうして、その尺八を吹きんしゃったぎねぇ、

刀もいらぬ  キンキラキンの帯もいらぬ

父さん恋しい 父さん恋しい

と、いうことがソックリのような悲しい音が尺八から聞こえてきたて。

そういうことです。

そいでねぇ、昔から何処の家【うち】でも、お味噌ばなきよったぎぃ、

大きなお釜に味噌豆は煮おたけれども、

隣近所が来て、大きな釜で煮おっぎぃ、

「今日は、何事【なんごと】あいよっとやろうかあ。

味噌豆やろうかあ、何【なん】やろうかあ」て聞くぎぃ、

本当に味噌豆を煮おる証拠に、その味噌豆をね、

「食べてください。味みしてください」ち言【ゅ】うて、

やるのが礼儀じゃったて。

そうして、

その大きな釜を見た人は、七里行たとっても立ち戻って来て、

本当に人間を煮殺しているのじゃなくて、味噌豆じゃろうかあ、と思って、

立ち戻って決して失礼じゃない。

「少し塩梅をさせてください」ち言【ゅ】うて、

貰うことが礼儀になったいた。

こういうことです。

「七里も戻っても味噌豆は食うもんだ」ていう、

そういう由来【ゆわれ】があるそうです。

[二一六 継子と鳥【AT七八一、cf.AT七五一A】、二一九 継子の釜茹【cf.AT七五一】類話]

(出典 蒲原タツエ媼の語る 843話 P185)

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