嬉野町下不動 井上カツさん(大3生)

 むかし。

お母さんが、赤ちゃんの首にお守りをかけ籠に入れて、

桑の葉を取っていましたと。

そこへ鷹が飛んできて、赤ちゃんを攫(さら)っていきました。

鷹は石山寺の大きな杉の木に赤ちゃんを引っかけて食べようとしていました。

赤ちゃんはギャアギャア泣いていました。

石山寺の坊さんたちが、

「ありゃあ、こりゃあどういうもんかあ。ありゃあ、鷹が赤ちゃんば」

と言い合って、杉の木の下に蚊帳を張って、お経を上げました。

すると、鷹は赤ちゃんを食べずに飛んでいきました。

赤ちゃんは蚊帳の上に落ちて助かりました。

赤ちゃんは寺で育てられることになったそうです。

お母さんは乞食のようになって、子供を捜し回りました。

お母さんは京都のある橋の下を宿にして、

そこにいた時、坊さんたちが、

「明日はその、お寺の坊さんが、ここば駕籠(かご)で通んさっけん、

そん時ゃあ、誰でもお詣りせんばねぇ」

と言って、噂をしていたのを聞きました。

翌日、その坊さんが駕籠(かご)に乗って橋を通られました。

お母さんは橋の下から飛び出てきて、

「お寺の坊さんに会わせてくいろ」と言われました。

すると、お供の坊さんたちが、

「そがん乞食のごたっ人に会わせられるもんかあ」と言って、

お母さんを相手にしませんでした。

駕籠に乗っておられた坊さんが、

「ちょっとこの駕籠ば止めてくいろう」と言って、駕籠から下りられました。

その坊さんは、老いぼれの七、八十のお守りを

首にかけた婆さんのところに行かれたのです。

そしてお守りを見て、

「このお守りは、いっちょじゃなか。二つある」と言って、

一筆書かれて渡される時に、

「この綴りば尋ねて来んしゃった時に見せて、親子の名のりばせろ」

と、言われました。

その坊さんは、お母さんの赤ちゃんを育てられた方だったのです。

お母さんは、お寺にいる息子の坊さんを尋ねました。

そして一筆いただいた物を渡されました。

息子の坊さんは、横からお守りさんを見られたら、

自分のお守りさんと同じでした。

そこで親子の名のりができたのです。

息子の坊さんは、ボロボロの着物を着た老いぼれのお母さんを抱えて、

駕籠に乗せて自分の家に連れて行かれました。

息子の坊さんは、お母さんにきれいな着物を着せられたそうです。

[大成 一四八 鷲の育て児]

(出典 嬉野の民話 P86)

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