嬉野市嬉野町下野 古川悦二郎さん(明27生)

語り まいこさん

むかし、

嬉野の上吉田に、久惣十さんと言う、

たいそう力持ちの人がおらしたそうです。

ある時、鹿島の殿さんの命令で、

お城の赤門を作ることになったそうです。

そうして、

春日山かすがやまから、太か材木じゃあもくを持って来い!」

と言うことになって、人手がいるものですから、

吉田の方から二十人、能古見のごみの方から二十人、

併せて四十人して、太か材木を背負って来ることになったそうです。

そうしたところが、吉田からは、

久惣十さん一人だけしか来なかったそうです。

そうしたら、能古見の人から、

「わいの【お前が】一人ひといどん来たちゅうて、

何もかんも さるんもんか【どうしようもない】。

なし【どうして】、もっと沢山うんにゅう、連れてんかぁ」

て言われたので、久惣十さんな、

いないゆっぎぃ【背負えるなら】、一人でん良かろうもん」

て言ったそうです。

そうしたら、

「二十人分を、お前だけが片方で、担いないゆん【背負える】もんかぁ」

て言われたので、

「担いゆっか、いないえんか、

いっちょうかつうでみゅうかぁ【ひとつ背負ってみようか】」

て言うことになったそうです。

そうして、能古見の人はみんな 荷造りをし出したそうですが、

クソジュウさんは、黙って ほうかぶいして座っていたそうです。

それで、能古見の人が、

「わいも、準備ばしろ」て言うたところが、

おいはどがんもせんで良か」て言うて、

そのままじぃーっと座っていたそうです。

それで、しょうがないので、能古見の人だけ荷造りして、

さぁ背負うということになったそうです。

そうしたら、クソジュウさんが、

「俺は、あとや先や」て聞かしたそうです。

そうしたら、能古見の人が、

「わい【お前】のごたっとは、後しかなか」て言うので、

クソジュウさんな、

「そいない、後で良か」て言うて、後ろで材木を背負わしたそうです。

そうして、能古見の人が二十人で先になって行きよったら、

「早う行け、早う行け」と言って、

クソジュウさんが後ろから、押すそうです。

それで、能古見の人は、

「そがん、いっぺんに強う押して、行かるっかぁ」て言って、

しょうがないので、

「わい、先ぃ行け」と言って、クソジュウさんと入れ変わったそうです。

そうしたところが、今度は、クソジュウさんが、

「早う来い、早う来い」と言って、ドンドン引っ張って行くそうです。

それで、能古見の人が、

「わいとは、一緒に、いないわされん【背負うことは出来ない】」て言ったら、

「担わんぎぃ、俺が一人ひといで、かついで いっちょこうだい」

て言って、四十人もして背負うのを、一人で背負っていったそうです。

そいばぁっきゃ【それでおしまい】

(出典 「嬉野の民話」p115)

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