矢筈に蛭がいない由来

矢筈に蛭がいない由来 作:竹下久美

 武雄市西川登矢筈 石橋ワサさん(明36生)

 私の里の下方(しもがちゃあ)は、

神六の先になりますが、ビル(蛭)の沢山いたのに、

こっちの矢筈に嫁に来たら、

ビルが一つもいないもんなたぁ。

そいけん、

「こっちは、なし【どうして】、

おんみゃぁかぁ【おらんのだろうか】」て、

地元の人に聞いたら、むかし、

矢筈の神様と神六の神様が喧嘩したて。

そうしたら、矢筈の神様が負けんさったち。

そいけん、神六の神様が、矢筈の神様に、

「俺(おい)が勝ったので、

ないなっとん【何か】、やれ」て言いなったて。

それで、矢筈の神様が、「俺んとこにゃぁ、

やんもん【やる物】のなーんもなかけん

【何にもないから】、ビルどんやっ」と言われたて。

そいけん、下方にはいっぱい

おるようになったかわりに、

矢筈にはビルがおらんようになったそうです。

(出典 佐賀県文化財調査報告書 第71集「~矢筈・神六の民俗~」p137)

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