武雄市西川登神六 前田米作さん(明33生)

 高瀬の荒踊りは、大蛇も何も巻ぁておらんと。

黒髪山を巻いてしもうて、そうして、泥攻めすっと。

あん頃は藤原ですよ。後藤じゃなくて。

後藤は、藤原の子孫じゃんもん。

それで、女、子供、協力してばんたぁ、

天童岩の下には見張り所を作って、

天童岩には、地百姓どもに積俵を作らせて、

なんぼでも兵糧持っとっごと巻き上げたちゅうもん。

薪木(びゃぁらぁ)ば。

そいぎ、大蛇のごと見えたらしか。

そいぎぃ、有田の方から見っぎにゃぁ、

まぁだ沢山ひょうろうば積んどっごたっ風で、

もう、持久戦に入って、もう、

根負けしたごとなったもんじゃい、

「それ、今、切り込め」ちゅうごたっ風で、

戦意を失って。

そうして、神六の大陣と小陣の方さい逃げてきて、

四百騎ばっかい逃げてきて、一騎は、

船原(ふねのはら)を越して、境さい逃げたわけ。

そっちに逃げた者は無事やったけど、

大陣と小陣の間に逃げてきた者は

犬走(いぬばしり)の足軽が、女には竹槍持たせて、

谷間に隠れさせていたら、そうしていたら、

敵の大将が、四騎来たて。

そいをですね、女が竹槍でどてっ腹ば突いたち。

そいて、1千余騎討打ち取ったてばんたぁ。

そうして、戦勝祝いに、犬走が踊ったのが、

高瀬の荒踊り。

(出典 佐賀県文化財調査報告書 第71集「~矢筈・神六の民俗~」p142)

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