武雄市西川登矢筈 石橋ワサさん(明36生)

 お茶畑けぇ草取りに行たてぇ、

そこに寝かせて働きおらしたいば、。

そいぎんと、こう、行たて見たぎんと、

おらんじゃったてなたぁ。

そいぎ、その子は、鷲が含んていたてぇ、

そうして、巣の中に入れとったてなたぁ。

そいぎぃ、坊さんがそいば見つけて、

そうして、自分の寺で養いよんさったとじゃろう。

そいぎぃ、その子供がお坊さんになってぇ、

今度は、親訊ねのお説教ばして

歩きよっござったなたぁ。

そいぎぃ、お母さんな、

もう本当に【ほんな】貧乏人のごと、

こっちはゼンモンて言うなたぁ、

ゼンモンのごとして、旅をして、

丁度、お寺の床下で、

お説教を聞きよんさったてなたぁ。

そん時ぃ、

その子供が親訊ねのお説教ばしおいござったてぇ。

そいぎぃ、お母さんが、そいが分かって、

床ん下から這い出したて。

そいぎぃともう、

「あんた、お母さんじゃろうか」て言うて、

坊さんがお寺から降りて、そうして、

抱きおてしござったて。

汚かごとしとっ母親ばなたぁ。

「母は母じゃいもんじゃいけん」

ということは聞いております。

(出典 佐賀県文化財調査報告書 第71集「~矢筈・神六の民俗~」p111)

標準語版 TOPへ