多久市北多久町中ノ原 飯盛康晴さん(明43生)
腹坂(はがらさか)ちゅうとはですね、
そこはあの、豊臣秀吉がずうっと名護屋城を
築く時分に、そこに来て。
そして、この腹坂ば通って行って。
そして、下に榎(えのき)が、
また植わっとっらしい。
そこに、今、成富さんて言う人が住んどんさっのまい
【住んでおられますよね】。
そこで、ちょっと休憩になって、お茶を
いっぷく所望(しょもう)ちゅうようなことで。
そうして、まあ、お茶を飲んだので、あの、
「茶屋ん原」と。
そして、その時、お茶を所望うけたもんだから、
秀吉公が、あの、杖(つえ)ちいて。
そいで、その杖を、その差したのが、
あの、今の榎だと言うことで。
そいけん【だから】、未だにその榎を
切っぎぃ【切ったら】、どうもその、
余(あんま)いゆうなからしか。
障(さわ)いがあっち。
そいけんが余い切ったいされんちゅうて。
そういうことを、まあ、聞いたですがね。
[文化叙事伝説・英雄]
(出典 多久・飯盛翁が語る佐賀の民話 P106)