多久市北多久町中ノ原 飯盛康晴さん(明43生)

 徳川家康が、まだ大公秀吉の家来であった時、

戦いに臨みました。

そうして、敵からかなり、襲撃を受けて、

逃げ隠れしていたわけですよ。

ところが、敵の方から今度は、徳川家康がですね、

側近に大久保彦左衛門

と言う人がいたわけですよね。

その大久保彦左衛門が、

非常に徳川家康を護衛しました。

ところが、追われてきた時にちょうど、

水路があって、穴があったらしい。

「その穴の中に隠れよう」と。

「こいいっちょ隠れんないば

どがんしよいなかじゃあ

【どうしようもないぞ】」と、

言うことで、ずうっと、もう長く深く、

水路ができていたそうです。

そして、そこに家康とその家来を連れて、

隠れていたら、敵の兵士が来て、

「ここは水路のあっけん【あるから】、

家康は逃げちゃおらんだろうか」と、

言われ、入ろうとしたら、ひとりの家来が、

「こけにゃあ【ここには】、おらん」と。

「なぜか」と聞いたら、

「今、蜘蛛(こぶ)がこけぇ、

床ん下にいっぱいあっ。まあ、張っとる」と。

「だから、蜘蛛のやねで張っとるから、

人間がこけぇ入っとっぎぃ、

その蜘蛛のやねはないはずだ」

と言うことでした。

それで蜘蛛が張っていたから、とうとう、

そこの中には入らないで立ち去りました。

そして、徳川家康は命乞いしました。

その当時から、家康は、

「蜘蛛を大事にせろ」と言うことで、

蜘蛛を非常に大事にしていたと言う

話を聞いていましたね。

[文化叙事伝説・英雄]
(出典 多久・飯盛翁が語る佐賀の民話 P102)

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