多久市北多久町中ノ原 飯盛康晴さん(明43生)

 あの佐用姫が袖を振って、

あの、鏡山から下に飛び降りて、

その飛び降りた足型が

今も残っています。

京都から大伴狭手彦(おおとものさでひこ)

が来ました。

とにかく長者の家が長者原と言って、

横柴折の上には、

屋敷の跡も記念碑もあるんですよ。

佐用姫は、そこの長者原の娘さんでした。

最後は加部島の田島神社で石になったそうです。

[文化叙事伝説・英雄]
(出典 多久・飯盛翁が語る佐賀の民話 P100)

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