多久市北多久町中ノ原 飯盛康晴さん(明43生)
まあ、大体多久藩はですね、
佐嘉の五十三万七千石ですか、
の城下を維持してきたというのはですね、
多久藩がおったればこそ維持できとった、
て言うことは、私の父から、これはもう、
くれぐれも私は聞いとっですね。
そいでその、もう多久藩は昔から学者がおったと。
偉い人がおったと、言うことで、やっぱい殿さんが
そういうふうな学問に熱心がために、
やっぱい孔子さんを祀ったと。
そうして、トウデン庠舎ていうものを作って、
そうしてその、
「農民も鍬(くわ)を置いて、本を取れ」
というごたっふうで、
教育をせなくちゃならんというような、
多久藩が、まあやったわけですねぇ。
そういうことで、多久はもともと、
まあ学問の里として、
まあやってきとるわけですよね。
[文化叙事伝説・英雄]
(出典 多久・飯盛翁が語る佐賀の民話 P95)