多久市北多久町中ノ原 飯盛康晴さん(明43生)

 その、むかし。

梅の実(さね)は、ただん所(とけ)ぇ、

う捨(す)つんもんじゃなか

【普段の所に捨てるもんではない】、て言うて、

必ず一箇所(ひととけ)溜めて、

そうして土の中に埋けんばいかんと。

そいじゃなかぎぃ【それでないならば】、

川に持って行って

流すかせんば【流すようにしなければ】、

ただう捨(す)たい物(もん)のごとして、

う捨てちゃいかんてったんと

【捨ててはいけないと】、

言うことをよくまあ、聞かされとったですが。

それは、なぜかと言えば、菅原道真公は、

その、飛び梅との関係があって。

そいでその、まあ、梅て言えば天満宮さん、

て言うようなことから、

天満宮さんは梅の実になっておいやっと。

そいけん、その梅の実を、その、

う捨たい物にすっぎにゃあと、

菅原道真公をう捨たい者にしたとと

同しことじゃっけん【同じことだから】。

そいけん、梅の実だけは大事にして、

何処かまとめて土の中(なき)ゃ

埋けてせんばいかんばん

【埋けなければならない】、

て言うことは、かねがね、

そりゃもう、しゃっちゅう【いつも】、

まあ、母から言われよったあですがね。

[俗信譚]
(出典 多久・飯盛翁が語る佐賀の民話 P81)

標準語版 TOPへ