多久市北多久町中ノ原 飯盛康晴さん(明43生)

 そいからのまい、こりゃあちょっと、

このへんで寄っぎぃ、昔の人は大概、

明治の末期から大正、昭和の初めまでの人は、

知っといやっと【知っていたと】。

多久原になたあ、吉ちゃんておったわけ。

床屋の吉ちゃんち。

そうして、隣のまい【隣ね】、

桶屋の彦ちゃんちゅうておらしたのまい。

この人たちゃあ、ほんに詩句が

上手じゃったばんたあ【上手だったよ】。

今の床屋の吉ちゃんがのまい、

今の桶屋の彦ちゃんに、

その、いろいろ両方からなたあ、

その、詩句話ばしよったんたあ。

その詩句話してしおったぎのまい。

そうしたぎにゃあと【そうしたらね】、

その、吉ちゃんが、

ちょっと返事に困ったらしい、

彦ちゃんから言われて。

そいぎしたぎぃ、

「俺(おり)ゃあ、

わさんにゃ【お前には】もう、

仏さんの飯上げじゃあ」て、

こう言うたらしい。

そいぎ仏さんの飯上げちゅうことは、

どういう意味かて言うぎのまい。

そいぎと、かなわんて言う。

昔あの、仏さんにお飯上ぐっとは、

あの、真鍮(しんちゅう)で作ってあったもん。

そいでその、今んごとその、

もう吉ちゃんが彦ちゃんに、

「もう、わさんに詩句話ゃ、

もう負けたじゃあ」と、

かなわんと言うことで、

「俺ゃあ、わさんにゃもう、

仏さんの飯上げたあ」て、

言うたぎぃ、

彦ちゃんがその、飯上げとうとう、

とっつきらんやったて。

そうして、その吉ちゃんが勝ったていう

話じゃった。

(出典 多久・飯盛翁が語る佐賀の民話 P53)

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