多久市北多久町中ノ原 飯盛康晴さん(明43生)

 あの、吉ちゃんがのまい、

近所にさい、家を直(なわ)しかけた。

昔ほら、家直しさせおったのまい。

あの、こうジャッキで。

そん時、ゴロつけて家を裏さにゃ道端んとば、

裏さい直す時分に、その、梅の木のあった。

茶碗梅の、太か木の。

そいぎぃ、

「そいを引くてにゃもったいなかけん」て、

言うことで、

扱きゃあなんもんだから

【邪魔になるもんだから】、

切ったわけ。

そうしたぎ今度(こんだ)あ、

またつかゆんもんじゃから、

そいでまた切ったて。

そうして二度も三度も切って、しても、

最後にゃとうとう、

またつかえて動かんもんだから。

そいぎその、吉ちゃんが、

「余(あんま)い切いよったけんが、

つかえたところたーあ」と。

要するにその、余いその、

飯じゃい何じゃい食べ物ば食【切】いよっぎぃ、

つかえたちゅうて、

ゆう【よく】)腹下(はらくだ)いすんのまい。

つかえたていう。

腹下しのごとつかえたて、

こう【こんなに】昔ゃ言いよったもん。

そいでその、今んごとその、

「いんにゃあ【いいえ】、

余(あんま)い食(き)いよったけん、

つかえたとこたーあ」て言うて、

言いやったと言うことは、

私も、そりゃよう聞いとった。

(出典 多久・飯盛翁が語る佐賀の民話 P52)

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