多久市北多久町中ノ原 飯盛康晴さん(明43生)
浜崎んにきぃの大原(たいばる)を、
何(なん)とか大原ち、言いよったなあ。
よう、ちょっとこのへんで言うぎにゃあ、
あの、上原(うえんはる)て、
言うごたっふうたい。
えぇ、まあ、佐賀平野て、
言うごたっふうのまい。
あの当時は平野て、言わじぃ、
大原ち、言いよったもんな。
非常に広い所を。
そいでその、息子が、
「父(ちゃん)、ここの何とか大原は、あの、
日本国中ちゅうぎにゃあ、ここんこっじゃろうなあ」
て言うて、その、勘右衛門に言うたらしい。
そいぎぃ、その勘右衛門が、
「いんにゃあ、そいていうもんかあ。
ここの大原の三倍ぐりゃあ日本国中あろうだあ」
て言うて、
言うたていうような話を聞いとったですよ。
[大成 三〇七 ここも日本]類話
(出典 多久・飯盛翁が語る佐賀の民話 P48)