多久市北多久町中ノ原 飯盛康晴さん(明43生)

 むかしむかし。

その、裏町、

こんにゃく屋善兵衛て言う人が、おったらしい。

そして、善兵衛がこんにゃくを始むっ時は、

いちばん最初は、

お寺の和尚さんからこんにゃくを、

「善兵衛。

あさんなそがん【あなたはそんなに】、

日雇(ひゆう)稼ぎどんせじぃ

【稼ぎなどしないで】、

俺(おい)が、

こんにゃく作いみちば教(おそ)ゆっけん

【作り方を教えるから】、

こんにゃく作って売らんか【売りなさい】。

そいぎぃ、俺が教ゆっけん」

ち言(ゅ)うことで、

和尚さんから習(なる)うて

初めてこんにゃく屋を始めたらしい。

そいぎその、ほんに【本当に】

やっぱい良かったらしい。

そうして、しよったところが、

ある日、【その当時は大体、

その、お寺に和尚が来て。

そうして問答をして、そして負くっぎぃ、

そのお寺は立ち退かんばらん

習慣じゃったらしい。

そいで勝った人が、

そこの住職ないよったらしい。】

まあ、そういうことで、

「もう隣村に、その、

ぎゃんして【こんなにして】その、

お江戸からもう立派な和尚さんが

やって来おっ【来ている】。

そしてその、もう問答して、来おっけん」

と、言うことで、

そこの和尚さんは非常に心配しとったわけ。

そこへ善兵衛が、

「和尚さん、おっかんたーあ

【いらっしゃいますか】」

ち言うて、入(ひ)ゃあってきたぎぃ、

そいぎ和尚さんがしおれておんもんじゃい

【元気なくしておられるから】、

「何て、今日はしおれとっかんたーあ

【元気なくしておられますか】」て。

「いんにゃあ【いいえ】。

実は、こうこうこう言うわけで、

あと、そいけん今度の和尚は、大抵、その、

偉い人じゃっけんが【偉い人だから】、

おそらくもう、俺もこけぇにゃ【ここに】

住むことはでけんじゃろう。

だからもう、遠からず自分も今日ぎで、

ひょっとすっぎ【もしかすると】もう、

明日ぎいでも【限りで】、ああ、

立ち退かんばかわからんけん」

て言うて、

言うたぎ善兵衛が、

「良か【良い】。そいないば俺が代わりぃ、

えぇ、和尚さんの代わりぃ、

俺があの、なる」と、言うことで。

「そいばってん【しかし】、

わさんが【お前が】

和尚さんになろうでちゃ【なるには】、

頭は坊主にならんばいかんじゃあ

【坊主にならないといけないよ】」

「そりゃ、良か【それは、良いですよ】」

て言うて。

そうして坊主になって。

そうして、えぇ、しとったぎぃ、

今度あ、村内早(はよ)う行たて。

そうして、そのお寺のご本尊の前に、

その、衣を着て、座っとった。

そいで座っとって。

「頼もーう。頼もーう」ち言うて、

その江戸の和尚さんが来たもんだから。

そいもんじゃい【それだから】、

その、こんにゃく屋善兵衛は、

宗教のことは何もわからんもんだから。

そいぎその、ただあぐらかいて、衣着て、

あいば、こうこうしてすっとばさい、

そいば握って。

そいから今度あ、扇はこけぇ差して、

背中に。

そしてもう、おいやったてじゃんもん

【おられたということです】。

そいぎぃ、なかなかどうして、

ほら、頭の髪ば剃っとんもんじゃから、

なかなかよか和尚にできたらしい、

話のもようでは。

和尚さんが問答しよっ時のまい【ですね】、

そん時分に、もう雀のごたっ太か、

あの、蚊の食(き)いちいたばってんが。

そうして食いちいてしたもんじゃい、

和尚さんが手の平で

ピーッと叩(たち)ゃあて、取ったわけ。

そいぎ和尚さんが、

「あはーあ、こりゃ『禅、禅』

言いよったが、

『無言の経で、こりゃ(コレハ)せろ』

て言う。わからんかあ」

て、いう意味で頭を叩ゃあたて。

善兵衛は蚊の食うて

痛(いと)うしてたまらんもんじゃい、

蚊を取ったわけ。

「禅とは、禅とは」て言うて、

旅の和尚さんが、

その善兵衛に質問したわけ。

そうしたぎにゃあ、

「何、その。『禅、禅』て、俺がその、

善兵衛どん、

て言いやよかばってん【言えばよいのに】、

頭文字ばっかい、

『禅、禅。禅、禅』て言うて、

その、善兵衛が腹きゃあた【立腹した】わけ。

そいぎ腹きゃあて、その和尚ば、

その、ねらみつけとったてっちゃん

【睨みつけておったそうです】。

そいぎその、

「あはーあ。これは、ああ、

その、無言の経て、こいと、

こりゃあ言いよっとこばいにゃあ

【これは言っているところだなあ】」と、

言うことで。

その、禅の言葉を抜きにして、

そうして、その旅の和尚さんが、

「こいば、こうやったてっちゃん。

もう、丸うのまい。

丸う、こうやったぎぃ」。

そいぎ今度あ、こんにゃく屋善兵衛が、

「あはーあ。俺、『禅、禅』言うて、

俺、善兵衛じゃっけん、

『禅、禅』ち、

こん畜生(ちきしょう)言いよっけんが、

『こんにゃくはあーっかい【あるかね】』と、

こいが言いよんに【言っているに】

違(ちぎ)ゃあなかばい」

と思うて、

善兵衛はこんにゃくのことばっかい

頭(あたみ)ゃあ、あったわけよ。

そいもんだから、もうその、

「どっさいあっくしゃーあ【沢山あるぞ】。

こうーやったてっじゃんもん」

そうしたぎのまい【そうしたらね】、

今度あ、その旅の和尚さんが、

「ああ、父は大海の如しか」て、

こう受け止めてくいたわけ。

そいぎ和尚さんな、その旅の和尚は、

「丸うした」

【昔はこんにゃくは丸うかったて。

もう手で丸めて押(お)しゃあつけ

入れとっ時はのまい】。

そいもんだから善兵衛は、

こんにゃくと思(おめ)ぇくうで

【思い込んで】、

「どっさいあーじゃあ」

ところが、その旅の和尚さんは、

「父は大海の如し。あはーあ」と思うて。

そうして今度あ、この次は多久の和尚が、

指ば一本、

ニャーて出したてっちゃん【出したそうです】。

そいけんが、

「はーあ、『これ、いっちょ幾らすっかーあ』

と言いよんに違(ちぎ)ゃあなかばいにゃあ、

【違いなかだろう】と思うてさい。

そいぎ指ば、

「五本、こい出(じ)ゃあて、

五枚(ごんみ)ゃあすっけん」

そいぎ旅の和尚さんは、

「十方世界は五戒にあり」と思うて、

両手全部。

あいどん【しかし】、

こんにゃく屋は一枚(いちみゃあ)

幾らすっかあ、

ち言うたけん、五枚て、こう言うて。

そいで取ったと、お金ば。

そうしてしたぎ今度あ、また旅の和尚が、

「指ば三本にゃーあ【三本か】」て、

出(じ)ゃあたてっちゃん【出したそうです】。

「はーあ。この和尚が欲たれがその、

俺が、『五枚』ち言うたけん、

『三枚にまけろ』て、

こいが言うたに違(ちぎ)ゃあなかばい、

と思うて。

そいもんだから、その善兵衛は、

「アカチョコベーエ。もうまけられん」て。

そん時にその、旅の和尚は、

「三千世界は眼下にあり。目の下にある」と、

言うことで、

和尚は善意に解釈して。

そして、

「まいってござる」ち言うて、

立ち退(の)いたということは、

こんにゃく問答なんですよ。

そいまあっきゃ。

[大成 五二〇 菎蒻問答]
(出典 多久・飯盛翁が語る佐賀の民話 P42)

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