多久市北多久町中ノ原 飯盛康晴さん(明43生)

人柱の話はですね、

大体、女は岩をも通すと言うような、信念深い心・強さがあったらしい。

そいでその、ある部落の橋が雨の降る度(たんび)に、

橋が流れて、そうして非常にまあ、困いよったてったいと。

そいで、とにかく、

「もう、がん橋の何遍(べん)でも何遍でも流れて来(く)っぎにゃあと、どうにも困るから。

そいぎ人柱として、その、娘を柱のもとに生きながら埋け込んですっぎにゃあと、

その橋が流れじすむ」と、いうふうなまあ、伝説の中に、

まあ、やいよったていうわけですたいのまい。

ところが、ちょうどその部落のところに、娘三人姉妹おったらしい。

それで、まあその、庄屋さんが、

「お前(まい)所(とこ)、娘三人おるけん、

そいけんが、まあ一人(ひとい)ないとん、人柱に立ててくれんかーあ」と言うて、

まあ頼んだらしかもん。

そうしたぎぃ、お爺さんが、

「いんにゃあ【いいえ】、そりゃあ【それは】ちょっと私も、

自分の子供三人おるけれども、まあどの子も可愛か」て。

「そいけんが、ばってんまあ【しかしまあ】、帰ってみて、

人のためないば、帰ってみゅう」て、言うことで、帰やったて。

そして帰って。

そうしてしたぎにゃあと、今度(こんだ)あ、頭(かしら)娘に言うたぎぃ、

「いんにゃあ。俺(おり)ゃあ、もう人柱になろうごとなか」て、

言うてその、言いやったてんたん【言ったそうな】。

そして今度あ、二番目に言うたぎぃ、二番目も、

「いや。姉(ねえ)ちゃん行かんない、俺(おい)も行かん」て。

そいぎさい【そうしたらね】、

「困ったにゃあ」て、言いよったぎにゃあと【言っていたら】、

三番目の娘が、

「そがん人のためになっごとないば【なることならば】、そいぎぃ、俺が良か」て。

「俺が人柱になろう」ち言(ゅ)うて、いちばん末(すそ)の三番目の娘が、

ああ、人柱にないやったてったん【なってやったと】。

そうしてしたぎぃ、雨の降る時は必ず家族も部落の人も、

その娘の人柱になっとんもんだから、雨の降るたびに拝みよいやったてったんと、

いうことで、大体、人柱というものは、

そういうようなことがなってできよったてったんと、いうことを

まあ、母から聞きよったことを思い出しましてね。

(出典 多久・飯盛翁が語る佐賀の民話 P26)

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