多久市北多久町中ノ原 飯盛康晴さん(明43生)
継(まま)母が、その、ちょうど旅の人が通いかかって、
しよったところが、あの、釜で一生懸命炊きよっらしい。
そいぎぃ、
「その、おばっちゃん何(ない)ば炊きよっかのう」
て、言うたぎその、
「あの、味噌豆煮よったん」て、こう言うてぇ、したて。
ところがその、味噌豆じゃなくして、やっぱい先の子供を、
その、憎んで憎んで、釜で茹(い)で殺しよったて、いうことで。
そいけんが、
「味噌豆煮よっても、やっぱい七里行たてちゃあが、
もう一遍立ち返(がや)って、そうしてその、
釜の果たしてその味噌豆こっちゃいろう、
まあ人間ば茹(ゆ)がきよっこっちゃいわからんけんが、
まあ、七里行たても立ち返って、まあ見届けんばいかんじゃ」て、
いうような話は、よう聞きよったですねぇ。
そいまあっきゃ【それでおしまい】。
[大成 二一九 継子の釜茹で]
(出典 多久・飯盛翁が語る佐賀の民話 P20)