多久市北多久町中ノ原 飯盛康晴さん(明43生)

 妊娠の時、その母親が亡くなったわけですね。

そして、その、葬られて、そしてそこで、お産でけて、

その子供が、まあ、生まれたわけ。

そのまあ、桶(おけ)か甕(かめ)かで。

そうして、その、今言うように、

乳が出んもんだから、そいで化けて出て。

そして、飴がた買いに行って。

そして、その飴がたを買(こ)うて、その赤ちゃんに

食べさせて、育てておったという、

その母の真心の信念を説いた話を聞いとったですね。

【そういう親子の絆というものは、やっぱい息を絶えて死んでも、

やっぱい、子供に対する愛情というもんがあると。

そうしてみっぎにゃあと、やっぱい子どもをそうまでして、

えぇ、子供を育て、また子供が育てられた子供は、

やっぱい親ていう者の尊敬、親孝行ということは、

やっぱいすべきであること】

だから、お産の時は昔ゃ飴がたをなぜ持って行くかと

いうぎにゃあと、その、そがんして、死んでも飴がたを貰って、

育ててしよったと、いうことで、えぇ、まあ、幸せに子供が

育ってくれるようにという意味で、あの、必ずお産の時ゃ

飴がた持って行きよったちゅうことは、

母から聞いとったですね。

[大成 一四七 子育て幽霊]

(出典 多久・飯盛翁が語る佐賀の民話 P19)

 

標準語版 TOPへ