佐賀市成章町 宮地ニワさん(明39生)

 むかし。

あの、桑の葉ば、その夫婦連れさい、山さい太-か籠ばかついで、

そいからあの、桑の葉摘みぎゃ行きなっ。

そいぎんと、その息子ばさい桑の葉摘みぎゃ行くもんじゃい連れて行たて、

その、そこに畚(ふご)じゃい何(なん)じゃい入れて、寝せといなっじゃろう。

そして、わがどま一所懸命桑の葉ば摘みないよって、

したぎんとは、その息子がおらんやろうが。

そいがその、真っ黒なって、あぎゃんと、もうも夕立ちのくっごたっ真っ黒なって、

降りて来たて。そして連れてはしったて。

そいぎんたあ、もうお母(か)さんの狂気のごとなって、

「もう、息子返(かや)せ。息子返せ」でもう、しなっばってん、

上さい飛んではしんもんじゃい、わかんみゃあがあ。

そいぎんたあ、ほんに巡礼姿のごとなってお母(か)さんのもう、

あっちこっち尋(たん)ねて歩(さる)きなっばってん、

もう、何処(どけ)ぇでんその息子の行方のわからん。

そいぎお父(とっ)たんもそいがため、もう病気して死いなっ。

もう死いなったもんじゃい、もうわがも何(なん)も楽しみなかけん、

「息子とまあ一目でん会うぎよか」ち言(ゅ)うて、

巡礼姿で出て行たて、三十年もそがんして巡礼姿で。

そうして、もう三十年もして歩(さる)く。

「息子の行方のわからんけん、もう仕方なかけん帰ろう」ち言(ゅ)うて。

(その、ほんにそい、芝居で見たばい。)

そして、その、渡し端さい行きなっ、舟乗っとこさい。

そして、その話のあいよんもん。

あすこのその、何(なん)ちゅうお寺やったかない。

そこの坊(ぼん)さんの、何(なん)とかレンギョウさんてぇろうていうて、

あの人はもう、元その、何十年もなろうか、前にその、鷲から掴まえてきて、

その、あすこの杉の木に、あぎゃんと拾うて持って来たけん、

その鷲のなき声のしたけん、そこの坊(ぼん)さんの来て、衣で受けんさったて。

そいぎぃ、

「今じゃその方のおんさらんけん、そこの大将になって、立派な坊さんになっとんさっ」

ち言(ゅ)うて、話よんもん。そいぎそのお母(か)さんの、

「何処のことですか」ち言(ゅ)うて、聞いてさす。そいぎぃ、

「ちょうど、今日がその方の命日て。そこの拾(ひら)われて来たその命日じゃいけんが、

そこの杉の木にお礼参りのあって、坊さんが。そいけんが、ちょうど、ふの良か。

そいけんが、そこさい行くぎんと、その杉の木のところに行たとっぎんと会わるっ」

ち言(ゅ)うて、言わす。そいぎんとは、

「私(あたい)が一筆書いてやっ」ち言(ゅ)うて、その坊さんのごたっとの来て、してやらすもん。

そいぎんとは、

「そこの先の裏道から行っときんさい」ち、杉の木に貼っとかす。「母が来とっ」ち言(ゅ)うて。

そいぎんとは、こうして拝みしてから、立派かもう、籠の乗ってな。

そうして赤か衣着て、もうりっぱいて来らすもん。そしてそこでお礼参りさす。

そいぎんと、そがんして貼ってあろうが。そいぎその、

「自分には母がなかったが、その、母人から、何処におられるか」て、声ばかけさす。

そいぎぃ、お母さんの出て来なっ。そうしてもう、

「三十年もその、昔のこと。自分ながんしてその、巡ってその、三十年目にその、会うた」

ち言(ゅ)うて、喜ばすもん。

そいぎもう、その、坊(ぼん)さんもほんに泣いてもう、お母さんと二人(ふたい)抱き合うて泣かす。

そうしてから、

「もう、今までんごと苦労はさせん。あぎゃんと、家(うち)さい連れて行く」ち言(ゅ)うて。

そうして、お母(っか)さんの履いとらす草履(じょうい)の、こう真っ黒か汚れて、

もう突っ切れ物(もん)のごとなっとっとば、あぎゃんと、自分の扇にさい、扇にこう載せて。

そうして、お母(か)さんばその、籠に乗せてさい、そしてわが歩いて、お母さんには、

その籠に乗せて、お数珠ばかけてもう、

いのうて行きなっところの、ほんによかったけんねぇ。

(芝居で見た。鳥栖におっときじゃったろう。)

そいばっかい【それでおしまい】。

(出典 未発刊)

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