佐賀市大和町春日地区(五領)下村兵次さん
成富兵庫茂安が、嘉瀬川の石井樋を作んさった時、人夫が人柱になったていう話。
石井樋ん辺(にき)は、昔ですね、水害が起こらんごとて、殿さんの命令で、川を削って、人工川を掘りよんさったて。
そいでん、いくらしてでん、井樋がせからん(井樋が壊れる)て。川の勢いちゅうのが本当(ほん)にひどかったて。
そいけん、誰(だい)か人柱にたてんばいかんということになったばってん、誰も人柱になる者な、おらんて。
そがんしよったぎ、「足半(踵の部分がない草履)の右よりの者ば人柱にたつっぎよか」ち言うた者(もん)がおったて。人夫の中に。
そいぎ、人夫ば全部調べんさったぎ、言うたその人が、足半の右よりの物(もん)ば履いとらしたて。
そいけん、その人が人柱にないなったけん、あすこの真ん中には観音さんの祀ってあって。
そいと、その観音さんな、喉の病気に良かて。井樋の通りが良かからていうわけ。
(出典 大和町の民話 P15)