佐賀市大和町松梅地区(桟敷)松尾かずおさん(泥畠)原口新八さん(柚木)田中キクさん

後鳥羽上皇と名尾の地名由来

後鳥羽上皇と名尾の地名由来
作画:宮地あかり

 むかぁし、後鳥羽上皇ちゅう偉い人が、都からこっちに落ちのびて来る時、名尾を通られたそうじゃ。

そん時、広滝(現神埼市脊振村)から名尾に入る道は狭いですもんね。ところが、名尾に入ったら、急に広くなったので、「ここは井出の口になっとっ」て言いんさったて。そいで、そこは、井出の口てちいたて。

それから、しばらく行った所で、草を折って敷かれて休まれたから、そこを折敷(おしき)野(の)て言うて。

それから、泥(どろ)畠(はたけ)という所は、いげどろ(バラ)がたくさん咲いていたらしいです。それで、「いげどろばたけ」て言わしたから、それが訛って泥畠になったて。

それから、また、ずーっと登ったところに、お手水(ちょうず)の滝ていうところがありますが、そこは、後鳥羽上皇が通っていかるっ時、手を洗われたから、そういう名前になったて。

そこから、もう少し上へ上ったら、大谷(おおたに)ていうところもありますが、そこは、京都の大谷に似とったけん、そがん付けんさったて。

そして、最後は、鳥羽院(とばえ)(現神埼市脊振村)に行きんさって住みんさったそうです。

(出典 大和町の民話 P11)

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